今日の性に溢れた文化の中で、ポルノの危険にさらされることは、学生生活においてほとんど避けられないことのように思われます。1 人を惑わす性的不道徳とその影響は、若者をその後長きにわたって痛みと困難で苦しめる可能性があります。でも、希望はあります!学生は可能性を伸ばす時期に生きているのであり、罪深い生き方の結果に縛られて生きる必要はないのです。ですから、若い時に神のみこころに従ってポルノと戦う決意をした学生は、今現在の助けを見いだすと同時に、彼らの一生を支える堅固な基盤を築くことができるのです。しかし、ポルノとの戦いの過程で失敗したり惑わされたりすると、戦いが本格化する前に、降伏してしまうことがあります。この記事は、ポルノとの戦いで使える実践的な戦術を提供することによって、学生がコリント人への手紙第一6章18-20節とテサロニケ人への手紙第一4章1-8節のみことばに従う助けとなるように、そして、超性的な文化の中でも神の方を向き、満たされた人生を歩む道へ移行できるように書かれています。2
神と人に助けを求める
助けを求めるのは難しいことです。しかし、ポルノの誘惑に対する最も強力な対抗手段は、神に助けを求めることです。神が私たちのうちで働いてくださらない限り、人間は肉の欲と戦うことはできません。私たちを変える福音の働きによってのみ、私たちの欲望も変えられるのです。ですから、ポルノとの戦いの基礎の基礎は、自分一人では戦えないと認めることです。神は常にともにいてくださり、必要なときに恵みと助けを与えてくださいます。自分を低くして、自力ではなく神の力に頼ると決めるなら、人を惑わすポルノ漬けの生活から、心と人生が遠ざかっていくのです。
ポルノは、嘘と秘密の上に成り立っています。他方で、真理の中に生きることによって人は変われます。多くの学生にとって、この葛藤を信頼できる友人と分かち合うことが、ポルノの誘惑との戦いで最も困難なステップです。しかし神は、互いの聖化に責任を持てるような、有意義な友人との関係をもって人生を生きるように人間を造られました。クリスチャン同士で説明責任を持つことは、それが正しく行われるなら、あてもなくさまよう自助グループとは決定的に違ってきます。それは、安全で信頼できる友情の中で互いに励まし合いながら、神の御前で互いに対する説明責任を果たしていくことなのです。3
デジタル・デトックスを行う
インターネットの世界では、現実を見誤る危険があります。ポルノ的な考えには、あらゆる種類のメディアを通じてアクセスすることができます。数日間、意図的にその種のスクリーンの時間と量を制限すると、ポルノとの戦いに有効です。これを実行するには、計画性とコミュニケーションが必要です。デジタル・デトックスは、誘惑と戦う意志を持って現実を再認識し、心を新たにする機会を提供します。習慣的なメディア利用が、無防備で成長途上にある心に与える影響を過小評価しないでください。ブラウザから意図的に離れ、代わりにその時間を「上からのもの」を求め、味わうために使うなら、学生が自分の志向を再構築する実践的な機会となるでしょう。これによって、すぐ目の前にあるものを求めることから、上からのものを味わうようにと、自分の求めるところを変えていくようにするのです。
目覚まし時計を買う
性的な誘惑と戦うのは、疲れているときが一番難しいと認めざるを得ません。多くの学生は、携帯電話を目覚まし時計代わりにして、夜ベッドの横に置いています。そうすると、夜最後に見るもの、朝一番に見るものが携帯ということになります。携帯電話を別の部屋で充電し、従来の目覚まし時計を購入すれば、朝起きて最初に目に入るのが携帯電話の画面ではなく、神になります。そうすれば、みことばを読み、祈りを通して神と二人きりの時間を持つことができるでしょう。ポルノに対しては、現在の瞬間、瞬間で戦うことが最も効果的です。過去について悩んだり、将来について心配したりすると、「今この瞬間に聖く生きよう」という決意が失われ、やる気をなくすだけです。ですから、精神的、肉体的、霊的な健康にとって良い方法で1日を始め、終えることが、日々性的な聖さを追求する上でとても大切になります。
15分ルールを実践する
15分ルールは、学生が性的誘惑に襲われた瞬間に、そこから一歩距離を置いて、聖書的に自分の現在置かれている状況を考えるための実践的なトレーニングツールです。ほとんどの学生が、少なくとも15分間は、性的に聖くあるために自制しようと頑張る気があります。15分ルールを実践するには、いくつかのステップがあります。
まず、ポルノの誘惑に負けた後どうなるかを予測します。その時の気持ちやその結果起こることを言い表します。
次に、神の約束に従った後どうなるかを予測します。その時の気持ちやその結果起こることを言い表します。どちらの予測結果の方が良いかを比べ、良い方を選び取る原動力とします。神と神の約束は、性的誘惑の試練にどのように答えを与えてくれますか。それに比べて、この世の提供する約束はどうでしょうか。どちらの方が良いですか。それはなぜですか。
第三に、性的誘惑と戦うために、身体的、社会的、霊的、また実生活の上で特に助けとなるような、包括的なアクションプランを準備します。性的誘惑に襲われるとき、どのような神の恵みが助けとなるでしょうか。少なくとも15分間、まずその神の恵みに学生の注意が向くようにするためには、どうすればよいでしょうか。
15分ルールに向けた準備と取り組みは、学生が性的な誘惑にかられる動機とその結果を考える助けとなります。学生はそれを踏まえて、どうすれば反射的に行動するのではなく、自主的に応答できるようになるか、具体的な実践計画を立てることができます。
この計画が経験とともに発展し、洗練されていくのに、時間がかかるかもしれません。ポルノとの戦いでいちばん学生の気をくじくのが、失敗です。学生は失敗すると簡単に自己憐憫に陥ってしまいます。問題は、学生が罪を犯すことではなく、その罪に対してどのように応答するかであり、良い応答ができれば学生は変わっていき、永続的な変化に結びつきます。神の前で悔い改め、直接影響を受けた人に告白することで、福音のメッセージとみわざが明らかになります。落胆してはいけません。性的な誘惑を感じる瞬間に、神を礼拝する心で聖さを追い求めることを少しずつ続けていくなら、効果がじわじわと効いてきて、いつかは15分の試練をはるかに超える恩恵をもたらすでしょう。
人生を楽しむ
人は神の配慮のもとにある現実の人生を楽しむ経験を積まなければなりません。外出すること、友人と食事すること、趣味を見つけて楽しむこと、運動すること、教会に集っている誠実な信者と積極的に関わることなどはすべて、主が私たちの喜びのために造られたものです。神が創造された世界を楽しむことで魂の味覚が再び活性化し始めると、学生の多くが、はかない罪の楽しみよりも、聖く生きる方が美味しいことに気づきます。罪の罪深さはその快楽にあるのではなく、人に満足を約束することにあるのです。やがて学生は、楽しむためにすべてのものが性的である必要はないことを理解し始めるでしょう。日々のあらゆる瞬間で、神を愛するがゆえに神への従順を選び取り、様々な形で与えられる神の恵みを追い求めることこそ、人に究極の満足をもたらすのです。
振り返りの質問
ポルノと闘うための実践的な戦術で、あなたの周りの学生に最も役に立ったものは何ですか。
脚注
[1] エリザ・フイ著の『Raising Kids in a Screen Saturated World』(スクリーンに溢れた世界での子育て)は、デジタル社会での子育てにとても役立つガイドです。洞察に満ちた、実践的な著作で、ポルノの問題で学生を助けようとしている人にも良書です。
[2] ヒース・ランバート著の『Finally Free』(やっと自由になれた)」は、ポルノとの戦いにおける明確な聖書の枠組みを示しており、この分野で知恵を求めている人にお勧めの一冊です。すべての年齢層の人に役立つ著作です。
[3] ポルノと戦っている人をサポートする説明責任のプログラムがインターネット上にあります(Covenant Eyes など)。こうしたプログラムは役に立ちますが、永続的な変化を経験するためには、信頼できる友人と説明責任の関係を築くことを優先することが大切です。