自己嫌悪について福音はどのように語っていますか?

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2023年 08月 29日  - 

以下は、『Ask Pastor John(ジョン先生に聞く)』というポッドキャストの収録内容を文章に起こしたものです。

[トニー(ポッドキャスト進行役・以下、T)]自己嫌悪というテーマは、よく話題に上がってきますね。ノンクリスチャンの友人がこの悩みを抱えている場合、私たちはどのように福音を伝えればよいのでしょうか?

[R]『こんにちは、ジョン先生。僕は、ジャカルタに住んでいるレイナルドです。僕は聖書を読むより、先生のポッドキャストをよく聴いています。多分、この習慣は変えないといけませんよね』

[T]そうだね、レイナルドさん、その配分はすぐに変えるほうがいいですね!

[R]『質問させてください。僕にはある友人がいるのですが、彼女は仏教徒です。彼女は自己嫌悪に悩んでいて、僕はそれに対して何をすべきなのか、わかりません。彼女の話を聞きますし、助けたいと思っています。でも、何をしたらよいのでしょうか?』

『彼女に自己啓発本を渡してもいいかもしれません。もし、いきなり福音に切り込んでいったら(僕はそうすることにまったく抵抗はありませんが)、彼女は僕に耳を貸さなくなるんじゃないかと心配なんです。だけど、自己啓発本をあげても、今の不安を克服するためのヒントがあるとはいえ、キリストによる赦しを経験しないまま元気になってしまうのは残念だとも思います。だから、いずれにせよ、福音を伝えたいというのが本音です。もし先生に、自己嫌悪に悩んでいるノンクリスチャンの友人がいたら、どのようにアプローチしますか?』

複雑な悩み

『自己嫌悪で悩んでいる人に言うべきことが、聖書にはたくさんあります。』

まずは、トニーが懸念を示したことについて念押しをしておきましょう。聖書よりパイパーの話をもっと読んでいる、または聴いているということでしたが、それは深刻な問題ですから、ぜひ修正してください。聖書は、水源です。パイパーはただの流れゆく泥水にすぎません。修正しましょう。

この質問は答えるのが難しいですね。なぜかというと、自己嫌悪で悩んでいる人に言うべきことが、聖書にはたくさんあるからです。この質問に答えるにあたっての一番の問題は、このテーマを取り扱う聖書の教えが足りないという点ではありません。問題は、私が彼女のことを知らないこと、そしてレイナルドさんのことも知らないことです。

彼女の本当の悩みが何なのか、情報がもっと必要です。その状態に至るまでに、彼女に何が起こったのかを知る必要があります。自己嫌悪はどのように表れているのか? どれだけ深く、深刻なのか? などなど、色々あります。私も、慎重に答えたいと思います。助言として、いくつかアドバイスをしようと思いますが、あくまでも暫定的なものとして、最善策だと考えられるものをお伝えします。あとは、聖霊様がレイナルドさんを助けてくださり、私の助言から彼が何をすべきか見出すことができるよう、お委ねします。

彼女に聖書を差し出す

レイナルドさん、例えば、聖書の箇所をいくつか取り上げ、彼女を議論に引き込み、そこから福音を伝えるというのはどうでしょうか? 興味を引くような、そして考えさせるような箇所が良いでしょう。そのような箇所を、彼女に差し出してみてはいかがでしょうか? 私の乏しい仏教の知識を踏まえたうえで、その方向性なら上手くいく気がするのと、どう助けるべきか、私が祈り求める中で、この方法が頭に浮かんだのです。今、私の頭に浮かんでいることをお伝えします。

『真正面から福音を提示するより、聖書の箇所をいくつか取り上げ、彼女を議論に引き込み、そこから福音を伝えるというのはどうでしょうか?』

キリスト教聖書から、聖句をいくつか読んでほしい、と尋ねてみてください。その聖句から、何を考え、どう感じるか、意見を聞きたいことも伝えます。彼女が仏教徒であるなら、多かれ少なかれ、聖句に対して倫理的または哲学的なアプローチをするのではないかと思います。つまり、おそらく彼女は、福音についてはまったく把握していないだろうと考えます。

あなたは、彼女に関連性のあるテーマから、神のみことばに触れるきっかけを作りたいのです。さて、もし彼女が快諾すれば、次に挙げるような聖句を分かち合ってみましょう。聖書一冊をそのまま渡してもよいかもしれません。しおりを挟んでおき、聖句を丸でかこんでおくか、聖句を見つける方法を彼女に教えてもよいでしょう。そのようにすれば、もし興味が沸いたら、彼女が自分で前後の文脈を読むこともできるでしょう。

真理の驚きを与える

彼女が快諾すれば、次のような聖句を示しましょう。

  • 「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります」(ヨハネ12:25) この聖句はかなり彼女を困惑させるだろうと予想します。彼女は頭を抱えてしまうかもしれませんが、そこが私たちの狙いです。
  • 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:12-13)
  • 「けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」(使徒20:24)
  • 「兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに 竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも 自分のいのちを惜しまなかった」(黙示録12:11)
  • 「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです」(マタイ22:37-40)
  • 「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀より価値があるのです」(マタイ10:28-31)

さて、わたしの予想では、これらの聖句を読んで、彼女は面食らってしまうことでしょう。次にレオナルドさんと話す機会があるとき、おそらく彼女はこう言うだろうと思います。「いったい何のためにあの聖句を私に見せたの?」 そこで、あなたはこう答えるのです。「一緒に、一つずつじっくり読んでみようよ、それで君が何を思ってどう感じたのか、教えてよ」 こうして切り込むのです。

『私たちのあらゆる憎しみ、罪、醜さは取り去られ、イエスの再臨において私たちの卑しいからだは変えられるのです。』

フォローアップ

そこからどのようにアプローチしていくかは、彼女がこれらの聖句にどう反応するかによって決まるでしょう。私の推測では、自己嫌悪を勧めているヨハネの福音書12章25節や、自己愛を前提とするようなマタイの福音書22章39節などは、特に彼女にとって困惑を招くものなのではないかと思います。

そして、そこから、あなたは罪の教えの方向に導き、罪と神の栄光との関係性、そしてそれが私たちの価値にどのように影響してくるのか、順に彼女に教えていくとよいのです。そして、願わくば、キリストの降誕、キリストの死、キリストがご自身のいのちを献げられたこと——ある意味での自己嫌悪——、そしてそれが私たちのいのちのためであったこと(Iペテロ2:24)などの方向に話を進められるでしょう。そこから、十字架によって罪人が贖われたこと、それは神が彼らを愛し、彼らを赦し、彼らを受け入れ、彼らを神のものとし、神の宝としてご自身のものとするためであったことを伝えます(Iペテロ2:10)。このことによって、自分のいのちそのものよりも、キリストを愛し、宝とする人生へと向かっていくのです。キリストはそれだけの価値のあるお方ですから。

そこから、おそらく、私たちはキリストの似姿に変えられるという約束を彼女に示すことができます。私たちのあらゆる憎しみ、罪、醜さは取り去られ、イエスの再臨において私たちの卑しいからだは変えられるのです(ピリピ3:21)。彼女の抱えている問題は、身体に対する自己嫌悪でしょうか、心や魂の自己嫌悪でしょうか、どのような悩みかわかりませんが、キリストは、私たちにまったく新しいからだを与えるために戻ってこられるのです。私たちのこのからだは、キリストのように栄光に輝くからだに変えられます。

私たちを贖う血しお

果たして主は、どのようにこのディスカッションを導かれるでしょうか。しかし、レイナルドさん、私がおすすめしたいことをお伝えします。真正面から福音を提示するより——この方法だと仏教徒である彼女にとっては理解できるポイントが最初はゼロかもしれません——聖書と真剣に「意見交換」する形へと導いてみましょう。忘れないでください。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます」(ヘブル4:12)。

そして、たゆみなく祈ってください。主が彼女を導いてくださり、福音が見えるようにしてくださるように。私も彼女が、自己嫌悪とは自分の思う以上に深く、それがいかなるものか、そしてどれだけの痛みを伴うものかを理解するようになり、それにもかかわらず、驚くばかりのイエスの血しおによる贖いがあること、そして彼女を救うために神が何を成し遂げてくださったのかを、知ることができるように、祈ります。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

This article has been translated and used with permission from Desiring God. The original can be read here, How Does the Gospel Speak to Self-Hate?.
この記事は「Desiring God」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:How Does the Gospel Speak to Self-Hate?