弱さに負けそうなときには

漢字の向こうに聖書が見える:2022年5月

ブラッシュ木綿子(著者)-  2022年 05月 01日 - 

弱いという漢字は、生まれたばかりのひな鳥が二羽、並んでいる形です。ひな鳥は弱いので、そのまま「弱い」の意味になりました。今回、カモのひなをデザインしてみました。イギリスに住んでいたとき、春になると毎年のようにカモの親子を見かけました。初めはだいたい八羽から十羽のひなが母鳥の後について泳いでいるのに、日を追うごとにどんどん数が減り、自然の厳しさを感じたものでした。ひなは狐などに食べられてしまうそうです。漢字の由来通り、弱いのですね。

もちろん私は弱い
でも私じゃなくて・・・

日本でも、カルガモの親子の引っ越しが各地で話題になります。子ガモがよちよち歩く姿は本当にかわいく、「弱さ」がこれなら、いくらでもいらっしゃいと言いたくなりますよね。でももちろん、弱さの現実は違います。肉体が弱いとき、私たちには病気やケガ、疲労や痛みなどがあるわけですし、精神的に弱いときには、悩みや不安があるのです。このような弱さは私たちにとって、つらく苦しいものです。「いくらでもいらっしゃい」ではなく、「できれば一生来ないでほしい」、あるいは「一刻も早く去ってほしい」と願うものでしょう。

今月の聖書のことばは、新約聖書に登場するパウロという人が書いた手紙の中のことばです。パウロは、イエスの教えを広めるために、遠く外国まで行き、回心後の人生を宣教にささげた人です。このパウロの人生にも、多くの困難がありました。宣教師として活動する中で、彼はさまざまな侮辱や苦悩、迫害を経験したのです。その上、なにか体に病気を抱えていたようで、「この弱さを去らせてください」と何度も祈ったと、聖書に書いてあります。このパウロの祈りに対する神の答えが、今月のことばです。

「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」

漢字の向こうに聖書が見えるー羽
わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。(IIコリント 12:9)

神が自分のことを「わたし」と言って、直接パウロに対して「あなたに」と話りかけていることばです。誰でも弱いとき、苦しいときには、神から見放されているように感じます。苦しいときに十分な恵み、弱さのうちに完全に現れる神の力があるとは考えません。でもそれを知らされたパウロは、「それでは、これからは自分の弱さを大いに喜ぼう、むしろ誇ろう」と言うようになりました。

これはパウロの心の持ちようが変わったとか、発想の転換ができたということではありません。それでは自分の内面を見つめて気持ちを入れ替えただけです。現実が何も変わらない中で、弱さを喜んだり、誇ったりするのには無理があります。そうではなく、パウロは自分の外、いや、この世界の外におられる、神に目を向けたのです。確かにパウロから弱さは取り去られなかったのですが、絶対的にすべてを支配しておられる神は、責任をもって弱いパウロの面倒を見てくださいます。神の恵みと神の力がパウロをおおっているのは、紛れもない現実なのです。

私たちも弱い者です。でも、自分の力で弱さを克服する必要はありません。神の力におおってもらい、神の恵みに信頼して、一日一日、生きることができますように。


「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

この記事は『クリスチャン新聞福音版』2022年5月号(No. 548)より、許可を得て転載しています。