契約に含まれているということ

2月1日 第32日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 02月 01日  - 

「そこにわたしはダビデのために / 一つの角を生えさせる。/ わたしに油注がれた者のために / ともしびを整える。/ わたしは彼の敵に恥をまとわせる。/ しかし 彼の上には王冠が光り輝く。」

(詩篇132:17-18)

神がダビデに与えられた約束の恩恵を受けるのは誰でしょうか?

詩篇132篇17-18節をもう一度読んでみましょう。「わたしはダビデのために / 一つの角を生えさせる。わたしに油注がれた者のために / ともしびを整える。 / わたしは彼の敵に恥をまとわせる。 / しかし 彼の上には王冠が光り輝く。」

これをイザヤ書55章1節、3節に関連づけるとどうなるでしょうか。「ああ、渇いている者はみな、 / 水を求めて出て来るがよい。金のない者も。 / さあ、穀物を買って食べよ。 / ……わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。 / それは、ダビデへの確かで真実な約束である。」

十字架のあとに生きる私たちが解釈するならば、この約束はこう要約することができるでしょう——神の御子、イエス・キリストを通して神のもとに来る者はみな、キリストにあって神が私たちに与えてくださるものに渇いているなら、自分たちが何者であるか、何をするかということに頼らずとも、神はその者と契約を結んでくださいます。

聖書の一番最後の部分で、ヨハネの黙示録22章17節がどう締めくくっているか覚えていますか? 「渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。」  これはイザヤの時代のユダヤ人だけではありません。魂の渇きを満たすためにキリストのもとに来るすべての人を指します。「わたしは[その者]と永遠の契約を結ぶ」とあるのです!

これはどのような契約でしょうか? この契約は、神の「ダビデへの確かで真実な」愛によって定義され保証されます。イザヤ書55章3節にある通りです。「わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。それは、ダビデへの確かで真実な約束である。」 私は、この一節が私自身もダビデ契約に含まれていることを意味すると解釈します。すなわちダビデが得るものは、私もキリスト・イエスにあって得る、ということです。

では何を得るのでしょうか?

私のために一つのが生えます。これは、私のために偉大なる力が戦い、私を守るということです。また、神が用意してくださるともしびが与えられます。これは、光が私を覆い、暗闇に圧倒されることはないということです。そして、王冠が与えられます。これは、私がダビデの子とともに治め、そのお方の王座にともに座るということです。「勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる」(黙示録3:21)。

私たちがダビデに与えられた約束の恩恵にあずかるとは、なんと驚くべきことでしょうか。神は、私たちが驚くことを望んでおられるのです。神は、私たちが日々のデボーションのなかで、その御力と権威と、私たちが神に愛されているという確かさに、ただただ驚くことを望んでおられます。

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Included in the Covenant.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: Included in the Covenant