神のために仕えてはならない

5月7日 第128日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 07日  - 

「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです。」

(歴代誌第二16:9)

神は世界を見渡し、何を探しておられるのでしょうか? 助け手でしょうか? いいえ、福音は「助けてください」というプラカードではありません。クリスチャンの奉仕を求めるものでもありません。

神は、ご自分のために働いてくれる人を探しておられるのではありません。「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです」(歴代誌第二16:9)。神は、偉大なる働き手です。重荷を背負うことのできるがっしりとした肩を持つ、力強いお方です。そして、神はそのご自身の力を現すための手段を探しておられるのです。これこそ、聖書の神が偶像の神々とまったく違う点です。神は私たちのために働いてくださいます。「とこしえから聞いたこともなく、/耳にしたこともなく、/目で見たこともありません。/あなた以外の神が/自分を待ち望む者のために、/このようにするのを」(イザヤ64:4)。

神は私たちに何を求めておられるのでしょうか? 私たちの予想するものとは違っているでしょう。神は、過剰にいけにえを献げるイスラエルの民を叱責されます。「わたしはあなたの家から雄牛を/……森のすべての獣はわたしのもの。/……たとえ飢えても わたしはあなたに言わない。/世界とそれに満ちるものはわたしのものだ」(詩篇50:9-10, 12)。

しかし、神を恩恵を受けるべき者の地位に貶めることなく、神に与えることのできる何かがあるはずではないでしょうか?

あります。私たちの思い煩いや必要、神のみこころを成すための力を求める叫びです。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」(Iペテロ5:7)というのは、命令です。私たちが神に頼ること、そして神がすべてを満たしてくださることを示すものなら、神はなんでも喜んで受け取ってくださいます。

キリスト教は、根本的に、病気の回復期と言えます。患者は医師のために仕えることはありません。ただ、医師の適切な薬の処方と治療に信頼するのみです。山上の垂訓は、医者の治療計画であり、雇用主の職務内容ではないのです。

私たちの人生そのものが、神のために働かないことに懸かっています。「働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。しかし、働きがない人であっても、不経験な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます」(ローマ4:4-5)。

働き手は、恵みを受け取るのではありません。当然支払われるべきものを受け取るのです。それは報酬です。もし私たちに義認の恵みが与えられているなら、決してそのために働いてはいけません。神はこの業務において、働き手であられるのです。そして神が受け取るべきは、奉仕の恩恵を受ける者ではなく、恵みの恩恵を与えるものとしての栄光です。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Don’t Serve God.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Don’t Serve God.