5月8日 第129日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 08日 - この記事は約2分で読めます。
神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に打ち勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。 (ヨハネの手紙第一5:3-5)
神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に打ち勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
この聖句で明らかにされていることは、新しく生まれること——神から生まれること——によって、神の命令は重荷から喜びへと変えられるということです。これはどういうことでしょうか?
神から生まれることが、どうして、神の命令を重荷ではなく喜びにするのでしょうか?
使徒ヨハネはこう言います。「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(Iヨハネ5:4)。つまり、神から生まれることで神の命令にともなう世的な重荷に勝利するのは、信仰を得ることによる、ということです。これは、ヨハネの手紙第一5章1節に、文字通り明確に記されています。「イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。」
信仰は、私たちが神から生まれたという証拠です。私たちは、信じることによって自らを神から生まれさせることはできません。神が私たちを新しく生まれさせることで、私たちのうちに信じることへの思いを与えられるのです。ペテロが最初の手紙に書いた通り、神は「私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました」(Iペテロ1:3)。私たちの生ける望み、または将来の恵みへの信仰は、新しく生まれることによる神の御業です。
ですから、ヨハネが「神から生まれた者はみな、世に勝つ」と言い、その後「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」と言うのは(Iヨハネ5:4)、すなわち神が、新しく生まれることを通して、私たちを世に勝たせてくださる、という意味だと捉えることができます。それはつまり、神の命令を守ることを嫌う世の反発に、勝利するということです。それは新しく生まれることで信仰が生み出されることによります。この信仰には、神の命令が重荷に感じる嫌悪感ではなく、神の命令を喜ぶ性質が明らかに含まれています。
したがって、信仰こそが、神とそのみこころに対する先天的な敵意に打ち勝ち、私たちが神の命令を守り、詩篇の作者とともに「わが神よ/私は/あなたのみこころを行うことを喜びとします」(詩編40:8)と言えるように、私たちを自由にさせるのです。