5月9日 第130日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 09日 - この記事は約2分で読めます。
神よ あなたは私の神。/私はあなたを切に求めます。/水のない 衰え果てた乾いた地で/私のたましいは あなたに渇き/私の身も あなたをあえぎ求めます。/私は あなたの力と栄光を見るために/こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。/あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ/私の唇は あなたを賛美します。 (詩篇63:1-2)
神よ あなたは私の神。/私はあなたを切に求めます。/水のない 衰え果てた乾いた地で/私のたましいは あなたに渇き/私の身も あなたをあえぎ求めます。/私は あなたの力と栄光を見るために/こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。/あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ/私の唇は あなたを賛美します。
ダビデのような心を満たすお方は、神しかおられません。そして、ダビデは神の心にかなう人でした。私たちはそうなるように創造されたのです。
これは、神を愛するということの本質を表しています。すなわち神のうちに満足を得るということです。神のうちに——神が与えてくださる賜物だけでなく、神ご自身のうちに、その栄光に輝くお方に満足するのです!
神を愛することには、神のすべての命令に従うこと、神のすべてのことばを信じること、神のすべての賜物を感謝することが、含まれます。しかし、これらはみな溢れ出てくるものです。神を愛することの本質は、神をほめたたえ、そのご性質すべてを楽しむことです。この神を楽しむという本質があってこそ、私たちは真に神を崇める応答をすることができるのです。
私たちはそのことを直感的にも知っていますし、聖書のことばにも明らかです。自分に仕えてくれる人が、単なる義務感からそれを行うか、あなたとの交わりを喜んでそれを行うかだとしたら、どちらがより光栄に思えるでしょうか?
私の妻は、私が「あなたと一緒に時間を過ごせることが私の幸せだ」と言うときに、最も光栄に思うそうです。私の幸せは、妻の素晴らしさの反響音のようなものです。そしてそれは、神に関しても同じことなのです。私たちが神に最も満足するときに、神は最も崇められます。
私たちの誰もが、神にある完全な満足に到達していません。私はしばしば、地上の居心地の良さや便利さを失ったときに、不満を漏らす自分自身の心に落胆してしまいます。しかし、主が良い方であることも味わってきました。神の恵みによって、私は今、永遠に絶えることのない喜びの泉を知っています。
だから私は、人々をこの喜びに招き入れて過ごす日々を楽しんでいるのです。いつか彼らが私とともにこう言うようになるまで——。「一つのことを私は主に願った。/それを私は求めている。/私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。/主の麗しさに目を注ぎ/その宮で思いを巡らすために」(詩篇27:4)。