5月26日 第147日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 26日 - この記事は約1分で読めます。
神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。 (コロサイ人への手紙1:11)
神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。
「強くされ」とはピッタリの言葉です。使徒パウロは、コロサイの教会が「神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように」と祈りました(コロサイ1:11)。寛容は、内なる強さの現れです。
寛容ではない人は弱く、外にある助けに頼ります。例えば、きちんと進むスケジュールや、壊れやすい心を守ってくれる状況などです。そのような人の誓約や脅し、また計画の邪魔をした犯人への厳しい批判は、決して弱々しくは聞こえません。しかし、そのわめく声はすべて弱さのカモフラージュです。寛容であることは、とてつもない内なる強さが求められるのです。
クリスチャンにとって、この強さは神から来るものです。パウロがコロサイ人のために祈ったのは、そのためです。パウロは、神が彼らを力づけてくださり、クリスチャン生活に必要な忍耐と寛容が与えられるよう求めました。しかしパウロが、寛容の力は「神の栄光の支配によ[る]」と言ったのは、人が寛容になるにはただ神の力が必要だということを意味したのではありません。パウロが意味したのは、この「栄光の支配」にある信仰こそが、寛容の力が流れ込む水路となるということです。
寛容は間違いなく、聖霊の御霊の実です(ガラテヤ5:22)。しかし、聖霊が力を得る(実を実らせる)のは、「信仰をもって聞いた」ことによります(ガラテヤ3:5)。したがって、パウロは神が私たちを「栄光の支配」に繋げてくださり、寛容が力づけられることを祈っているのです。そしてその二つを繋げるのは、信仰です。