6月20日 第172日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 20日 - この記事は約2分で読めます。
神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。 (コリント人への手紙第一15:10)
神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
恵みとは、単に私たちが罪を犯したときに与えられる寛大さではありません。恵みとは、罪を犯させないための神の力です。恵みは力です。単なる寛容ではありません。
これは、例えば、コリント人への手紙第一15章10節において明らかです。パウロは、恵みこそが自分自身の働きを可能にする力であると説明しています。恵みはパウロの罪に対する寛容であるだけでなく、従順のうちに進み続ける力です。「私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。」
ですから、神に従おうとする私たちの努力は、自分自身の力による努力ではなく、「神が備えてくださる力によ」ります。それは、「すべてにおいて、……神があがめられるためです」(Iペテロ4:11)。これは、信仰の従順です。私たちが成すべきことをできるようにするために、いつも注がれる神の恵みの力に対する信仰です。
パウロは、テサロニケ人への手紙第二1章11-12節で、このことを確認しています。それは、私たちそれぞれの善い行いを「信仰から出た働き」と呼び、それが「御力によって」起こるため、その働きがイエスにもたらす栄光は「私たちの神……の恵みによ[る]」と言っていることからわかります。この箇所全体を読んでみましょう。
こうしたことのため、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を求めるあらゆる願いと、信仰から出た働きを実現してくださいますように。それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、私たちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。
神に喜びをもたらす従順は、信仰による神の恵みの力によって生み出されます。これは、クリスチャン生活のあらゆる場面で同じように働いています。信仰によって救われる恵みの力(エペソ2:8)もまた、信仰によって私たちをきよめる、同じ神の恵みの力です。