実践的な愛の根にある力

6月29日 第181日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 29日  - 

私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛さない者は死のうちにとどまっています。

(ヨハネの手紙第一3:14)

つまり、愛こそが、私たちが新しく生まれたこと、クリスチャンであること、救われていることの証拠です。

聖書はときに、私たちのきよさと人々への愛を最終的な救いの条件としています。言い換えれば、私たちがきよくなくて愛がないなら、さばきの日に救われることはないというものです(例・ヘブル12:14; ガラテヤ5:21; Iコリント6:10)。これは、愛の行いが神との正しい関係を得る手段だということではありません。断じて、違います。聖書は明確に、エペソ人への手紙2章8-9節にあることを、何度も何度も繰り返し述べています。「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」 聖書が言っているのは、こうです。私たちは信仰によって救われますが、最終的に救われるためには人々を愛さなければならない、それはつまり、神の約束を信じる信仰は、その信仰の生み出す愛が信仰の現実性を証明するほどに、現実的なものでなければならないということです。

ですから、愛が、第一条件である信仰が偽りではないことを証明するという意味で、人々への愛は将来の恵みの条件です。第一条件かつ必須条件である信仰——この信仰のみによって、私たちはキリストと結ばれ、キリストの力を得ています——を確証させる、人々への愛を、第二条件と呼ぶこともできるでしょう。

信仰は、将来の恵みの約束のうちに神の栄光を認め、その約束によって明らかにされる、神がイエスにあって私たちのために表されるすべてのことを愛し抱きます。この、神の栄光に対する霊的な認識と、それに対する私たちの喜びは、神が私たちをご自分の恵みの受益者として召しておられることを証明する、自己認証的な証拠となります。この証拠があるなら、私たちは自由に、神の約束を自分のものとして信じることができます。そして、この約束を信じるということが、私たちに愛する力を与えるのです。さらにその事実が、私たちの信仰が本物であることを証明します。

この世界は、二つのものを併せ持つ信仰を切に望んでいます。一つは、揺るぎない神の真理に対する畏敬の認識、もう一つは人生に解放をもたらす変化を起こす、まったくもって実践的な、休みなく働くです。私もそれを望んでいます。それが、私がクリスチャンである理由です。

偉大なる恵みの神は、ご自分に信頼する無力な人々への約束を成就することで、神の無限の美しさと自己充足を誰の目にも明らかにされます。そしてこの神を高く掲げることで与えられる力があり、その力は、人生のどんな隠れた場所にも隙間にも届く力です。この力は、私たちに最も実践的な方法で愛する力を与えます。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, The Powerful Root of Practical Love.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:The Powerful Root of Practical Love.