7月2日 第184日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 02日 - この記事は約2分で読めます。
「見よ。神はいと高く、/私たちには知ることができない。/その年の数も測り知ることができない。」 (ヨブ記36:26)
「見よ。神はいと高く、/私たちには知ることができない。/その年の数も測り知ることができない。」
神について何もかも知ることは、不可能です。
神は、存在する中で最も重要なお方です。それは神が他のすべてのものを造られたからであり、それらの持つ重要性はすべて神によるものだからです。
他の存在の持つ力や、知能や、技術や、美しさは、すべて神から生まれたものです。あらゆる卓越性の尺度において、神はあなたがこれまでに知っている、または聞いたことのある、どんなに優れた人物よりも、無限に偉大であられます。
神は無限であるゆえに、その奥深さは尽きるところがありません。ですから、神に退屈することなど到底あり得ません。何よりも知的で奥深い行動を示し続けておられる神は、まるで火山のようです。
あらゆる良い喜びの源である神ご自身が、完全かつ最終的な喜びをもたらされます。そのように神を体験していないなら、私たちは死んでいるか、盲目か、眠ったまま歩いているかのいずれかでしょう。
ですから、この世が神を知ろうとする努力は、なんと小さいものでしょうか。
それはまるで、アメリカ合衆国の大統領が一ヶ月あなたの家に引っ越してきたのに、交わす言葉といえば毎日一度だけ、すれ違いに「どうも」と言うだけのようなものです。または、太陽と太陽系のあいだを数時間、光の速さで飛び回りながら、窓の外すら眺めずにビデオゲームに夢中になっているようなものです。または、最高の俳優、歌手、スポーツ選手、発明家、学者によるパフォーマンスの鑑賞に招待されたにも関わらず、それを断って、家でドラマの最終回を観るようなものです。
みなさん、ともに祈りましょう。どうか、私たちの限りなく偉大な神が、私たちの心を動かし、できる限り完全に神を見ることができるよう、そして神をさらに知ることを追い求めるよう、私たちの目を開いてくださいますように。