7月6日 第188日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 06日 - この記事は約2分で読めます。
ののしられても、ののしり返さず、/苦しめられても、脅すことをせず、/正しくさばかれる方にお任せになった。 (ペテロの手紙第一2:23)
ののしられても、ののしり返さず、/苦しめられても、脅すことをせず、/正しくさばかれる方にお任せになった。
イエスほど悲痛な罪をその身に受けた人は他にいません。イエスに向けられたあらゆる敵意は、完全に不当なものでした。
イエスほど栄誉を受けるにふさわしい人は、過去に一人もいません。そして、イエスほど不名誉を受けた人もまた、他にいません。
怒り、恨み、復讐心を抱く権利を持つ人がいるとすれば、それはイエスに他なりません。悪党がイエスの顔に唾を吐いたとき、もはやその悪党のいのちを保っているのはイエスご自身であるにも関わらず、いったいその怒りをどうコントロールされたのでしょうか? ペテロの手紙第一2章23節に、その答えがあります。「ののしられても、ののしり返さず、/苦しめられても、脅すことをせず、/正しくさばかれる方にお任せになった。」
この聖句が意味するのは、神の正しいさばきという将来の恵みをイエスは信じておられたということです。イエスはその身に受けられたあらゆる侮辱に対して、復讐する必要はありませんでした。なぜなら、イエスはご自分の大義を神に委ねられたからです。イエスは神の御手に復讐を委ね、敵のために祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23:34)。
ペテロは、私たちもその生き方を学べるようにと、このイエスの信仰のごく一部を示しました。彼はこう言っています。「このため(ひどい扱いを忍耐強く耐えるため)にこそ、あなたがたは召されました。/キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、/その足跡に従うようにと、/あなたがたに模範を残され[ました]」(Iペテロ2:21)。
キリストが、良いさばき主であられる神が約束してくださったことを信じる信仰によって恨みや復讐心に打ち勝ったなら、不当な扱いを受けて文句を言う権利をイエスほど持たない私たちは、どれほどその模範に従うべきでしょうか。