金銭を愛するということは

7月26日 第208日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 26日  - 

金銭を愛することがあらゆる悪の根だからです。

(テモテへの手紙第一6:10)

これを記したパウロは、何を伝えようとしたのでしょうか? 罪を犯すときはいつも金銭のことが頭に浮かぶ、という意味ではないでしょう。多くの罪は、金銭のことを考えていないときに起こるものです。

私が考えるのはこうです。パウロは、この世にあるすべての悪は、ある心の状態、つまり金銭を愛する心の状態から生まれる、ということを意味したのではないでしょうか。

では、金銭を愛するとはどういう意味でしょうか? おそらく紙幣の材質に惚れ込んだり、銅貨やシケル銀貨を愛でるということではありません。金銭を愛することの意味を知るためには、まず、金銭とは何か、と問いかける必要があります。私はこの質問にこう答えます。金銭とは、単に人的資源を象徴するものです。金銭は、人から得られるものの象徴に過ぎません。神から得る代わりに、他の人間から得るものです。

神は金銭ではなく、恵みという通貨で取引きされます。「ああ、渇いている者はみな、/水を求めて出て来るがよい。金のない者も。/さあ、穀物を買って食べよ。/さあ、金を払わないで、穀物を買え」(イザヤ55:1)。金銭は、人的資源の通貨です。ですから、金銭を愛する心は、その希望を引き留め、快楽を追求し、人的資源が提供できるものに信頼を置く心です。

したがって、金銭への愛は、金銭への信仰と実質上同じです。金銭があなたの必要を満たし、あなたを幸せにしてくれるという信条(信頼、確信、保証)であるからです。

金銭への愛は、神の将来を信じる信仰に取って代わるものです。それは、将来の人的資源、すなわち金銭によって手に入れ、確保できるものを信じる信仰です。したがって金銭への愛、あるいは金銭への信頼は、神の約束を信じないことの裏返しなのです。マタイの福音書6章24節で、イエスはこう言われました。「だれも二人の主人に仕えることができません。……あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」

神を信じながら、金銭を同時に信じることはできないのです。一方を信じることは、もう一方を信じないことです。金銭を愛する心、金銭が与える幸せを信頼する心は、神がイエスにあって私たちのために表してくださる、私たちの魂を満たすいかなるものにも、一切信頼しません。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, What It Means to Love Money.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:What It Means to Love Money.