私のたましいは神を慕う

8月12日 第225日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 12日  - 

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように/神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。/私のたましいは 神を/生ける神を求めて 渇いています。/いつになれば 私は行って/神の御前に出られるのでしょうか。

(詩篇42:1-2)

この詩篇がこれほどに美しく、私たちにとって大きな意味を持つ理由は、この詩篇の作者が、脅かされるような状況からの解放を渇き求めているのではないというところにあります。彼は、敵から逃げることや、彼らの破滅を渇き求めているのではありません。

解放を願い、祈り求めることは間違いではありません。敵の敗北を祈ることも、時には適切と言えるでしょう。しかし、それよりも重要なのは、神ご自身です。

詩篇の中で神とともに考え、感じるとき、その主な結果は一つです。それは、私たちは神を愛するようになり、その姿を求めるようになり、神とともにありたいと願うようになり、神をほめたたえ心から喜ぶことに満足するようになることです。

2節の終わりはこのようにも訳すことができるでしょう。「いつになれば、私は行って、神の御顔を見るでしょうか。」 この疑問に対する最終的な答えは、ヨハネの福音書14章9節と、コリント人への手紙第二4章4節にあります。イエスは言われました。「わたしを見た人は、父を見たのです。」 そしてパウロは、私たちがキリストを信じ受け入れるとき、「神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光」を見ると言いました。

私たちがキリストの御顔を見るとき、私たちは神の御顔を見ています。そして、キリストの死と復活の福音の物語を聞くとき、私たちはキリストの御顔の栄光を見るとパウロは言っています(IIコリント4:4, 6)。パウロはそれを「神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音」(4節)または「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」(6節)と呼んでいます。

どうか主が、神の御顔を見ることへの飢え渇きを増してくださいますように。そして、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音を通して、今日も、主があなたの願いを聞き入れてくださいますように。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, My Soul Thirsts for God.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:My Soul Thirsts for God.