8月16日 第229日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 16日 - この記事は約1分で読めます。
楽しみと喜びの声を聞かせてください。/そうすれば あなたが砕かれた骨が喜びます。/……/あなたの救いの喜びを私に戻し/仕えることを喜ぶ霊で 私を支えてください。 (詩篇51:8, 12)
楽しみと喜びの声を聞かせてください。/そうすれば あなたが砕かれた骨が喜びます。/……/あなたの救いの喜びを私に戻し/仕えることを喜ぶ霊で 私を支えてください。
なぜダビデは性的な欲望が抑えられることを叫び求めないのでしょうか? なぜダビデは、相談相手になってくれる人を祈り求めないのでしょうか? なぜダビデは、自分の目が守られ、自分の考えがセックスに支配されないように祈り求めないのでしょうか? バテ・シェバを強姦したに等しい行動のあとの、罪の告白と悔い改めのこの詩篇では、ダビデがこれらのことを求めるだろうと期待してもおかしくないでしょう。
理由は、性的な罪とは病気そのものではなく症状であるということを、ダビデが知っているからです。
人が性的な罪に屈してしまうのは、その人のうちにキリストにある満ち満ちた喜びと感謝がないからです。その人の霊は、忠実でも、堅固なものでも、確固としたものでもありません。揺れ動いているのです。誘惑され、罪に陥ってしまいます。なぜなら、その人の感情や考えの中で、神が本来座られるべき最高の座におられないからです。
ダビデは自分でこのことを理解していました。それは、私たちも同じです。ダビデは、その祈りの方法を通して、性的な罪を犯す私たちが本当に祈らなければならないことは何であるかを示しています。それは神を求めることです! 神にある喜びです。
これは私たちにとって、深い意味を持つ知恵です。