8月17日 第230日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 17日 - この記事は約1分で読めます。
わがたましいよ 主をほめたたえよ。/私のうちにあるすべてのものよ/聖なる御名をほめたたえよ。 (詩篇103:1)
わがたましいよ 主をほめたたえよ。/私のうちにあるすべてのものよ/聖なる御名をほめたたえよ。
この詩篇は、詩篇の作者が始まりと終わりに自分のたましいに主をほめたたえよと説き——「わがたましいよ 主をほめたたえよ」——、御使いたちや天の軍勢、そして神の御手によるみわざにも同じようにするよう説きます。
主をほめたたえよ 主の御使いたちよ。みことばの声に聞き従いみことばを行う 力ある勇士たちよ。主をほめたたえよ 主のすべての軍勢よ。主のみこころを行い 主に仕える者たちよ。主をほめたたえよ すべて造られたものたちよ。主が治められるすべてのところで。わがたましいよ 主をほめたたえよ。(詩篇103:20-22)
この詩篇は、圧倒されるほどに主をほめたたえることが強調されています。主をほめたたえるとは、どういう意味なのでしょうか?
それは、神の偉大さと善良さを大胆に語るということ、たましいの奥底から確信を持って語るということです。
ダビデは最初と最後の節で「わがたましいよ 主をほめたたえよ」と言います。これは、神の偉大さと善良さを真実に語るには、それがたましいから来るものでなければならないことを意味します。
口で神をほめたたえながら、たましいがなければ、それは偽善です。イエスはこう言われました。「『この民は口先でわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている』」(マタイ15:8)。ダビデはこの危険性を知っているので、自分自身に説いています。彼は、このようにはなるまいと、自分のたましいに言い聞かせていたのです。
「わがたましいよ、来て、神の偉大さと善良さを見よ。私の口とともに、私の存在すべてで、主をほめたたえよ。わがたましいよ、私たちが偽善者とならないように!」