揺るぎなく幸せな神

8月21日 第234日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 21日  - 

「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。」

(ヨハネの福音書15:11)

神は絶対的な主権者です。

「私たちの神は 天におられ/その望むところをことごとく行われる」(詩篇115:3)。

ですから、神は失望することがありません。ご自分のすべての御業を、贖いの歴史という壮大なモザイクの色彩として思い描き、それを喜ばれます。神は、揺るぎなく幸せな神であられるのです。

神の幸せは、根本的に神ご自身のうちにある喜びです。天地創造の前から、神はご自分の栄光の姿である御子という人格、すなわち神が心から喜ばれる神の愛する子を、喜ばれました(マタイ3:17)。そして、神の喜びは創造と贖いの御業において「公になった」のです。

これらの御業は神の栄光を映し出しているため、神の心を喜ばせます。天は神の栄光を語り告げます(詩篇19:1)。「の栄光が とこしえにありますように。/がご自分のみわざを喜ばれますように」(詩篇104:31)。神のなされることはすべて、その栄光を保ち、映し出すためであり、その御業において神のたましいは喜びます。

神のすべての御業は、神の贖いの民の賛美によってその頂点を迎えます。「その大能のみわざのゆえに/神をほめたたえよ。/その比類なき偉大さにふさわしく/神をほめたたえよ」(詩篇150:2)。神の幸せの最高潮は、聖徒たちの賛美の中に、ご自分の偉大さが響き渡ることに喜びをおぼえられることです。「神は馬の力を喜ばず/人の足の速さを好まれない。/主を恐れる者と/御恵みを待ち望む者とをは好まれる」(詩篇147:10-11)。

しかし私たちの賛美は、神の偉大さを響き渡らせ、神の喜びとなるだけではありません。その賛美は私たちの喜びの頂点でもあるのです。賛美は、神の偉大さを見て味わうとき、そこから得られる私たちの喜びの最終地点です。

したがって、神が私たちに賛美を求められること、そして私たちが神に喜びを求めることは、同じものを求めていることになります。これこそ、キリストにある神の恵みの、栄光の福音による、素晴らしい産物ではありませんか!

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, An Unshakably Happy God.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:An Unshakably Happy God.