賛美を喜ばれる神

8月22日 第235日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 22日  - 

神よ 諸国の民があなたをほめたたえ/諸国の民がみな あなたをほめたたえますように。

(詩篇67:3, 5)

神はなぜ、私たちが神をほめたたえることを求められるのでしょうか?

C・S・ルイスはこう言っています。

わたしたちはまた、人々が自分の貴ぶものを、おのずからほめてしまうのと全く同じく、人々は「彼女、かわいいじゃない? すばらしいじゃない? すごいと思わない?」といったぐあいに、おのずから、わたしたちにもいっしょになって、ほめることをうながすものだということに、気づいていなかった。

詩篇の詩人たちは、すべての人に神をたたえよと告げるとき、だれしもが、自分の気に入っているものについて語るときにするのと同じことをしているのだ。神の賛美についてわたしのぶつかった、さらに一般的な困難いっさいは、なにごとによらずわたしたちが貴ぶ他のものについてであれば、よろこんですること、まさにせざるをえないことを、最高に貴ばるべきもののばあいにかぎって、不条理にもそれをわたしが拒んでいたところにあった。

わたしたちが愉しむものをたたえてよろこぶのは、賛美がその愉しみを表現するのみならず、完成するからであり、賛美によって愉しみはその極みに達するからであろう。恋人たちが、おたがいに相手がいかに美しいかを語り合ってやまないのは、お世辞で言うのではなくて、それを表わさないかぎり、そのよろこびに欠けるところがあるからである。(ルイス 1976: 124-5)

ここに答えがあります。私たちに「わたしをほめたたえよ」と求められる、神の自惚れかとすら思える要求の答えが、ここにあるのです。これは私たちの幸せが最大限なものとなるための要求です。私たちは、自分が楽しむものをほめたたえます。それは、その感情を賛美として表現するまで、喜びは完成されないからです。もし私たちが、自分の大切にするものについて語れず、自分の愛するものについて祝えず、自分の崇めるものを賛美できないなら、私たちの喜びは満たされないでしょう。

ですから、私たちの喜びを満たしたいと思われるほどに、神が私たちを愛しておられるなら、神はご自身を与えるだけでなく、私たちの心の賛美をも勝ち取るべきお方です。それは、神のうちにある弱い部分を補強するためだとか、欠けているものを補うためだとか、そのようなことのためではありません。むしろ、神は私たちを愛しておられるからであり、他のどのような存在よりも壮大で素晴らしい神を知り、賛美することによってのみ見出せる喜びが、私たちのうちで満ち満ちたものとなることを望んでおられるからです。

もし神が本当に私たちのためにおられるなら、神は神ご自身のためにおられるはずです。神は全宇宙で唯一、自らの賛美を求めることが究極の愛の行いである存在です。神にとっては、自らを崇めることは、最高の美徳なのです。神がすべてのことを「神の栄光をほめたたえるため」になされるとき(エペソ1:12, 14)、神はこの世界でたった一つ、私たちの渇望を満たすことのできるものを、私たちのために備え、与えてくださいます。

神は私たちのためにおられます! そして、この愛の土台は、過去も、現在も、これからも常に、神が神ご自身のためにおられるということなのです。

参考文献

  • C.S. ルイス(1976年)『詩篇を考える——C. S. ルイス宗教著作集(5)』 新教出版社. 
聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Pleased to Praise .
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Pleased to Praise .