9月6日 第250日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 09月 06日 - この記事は約3分で読めます。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 (ローマ人への手紙8:35)
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
ローマ人への手紙8章35節から、3つの点に注目しましょう。
夫に先立たれた妻は、こう言うでしょう——夫の愛から私を引き離すものは何もありません。妻がこう言うのは、彼女の人生の中で、夫の愛の思い出はずっと変わらず甘く力強いものだという意味でしょう。しかし、パウロがこの箇所で言っているのはその意味ではありません。
ローマ人への手紙8章34節が言っているのは、単純にこういうことです。「キリスト・イエスは、死なれ——それだけでなく、よみがえられ——、神の右の座におられる方です。その方が、私たちのためにとりなしてくださっているのです。」 私たちをキリストの愛から引き離すものは何もない、とパウロが言うことができるのは、キリストは生きておられ、まさに今、私たちを愛してくださっているからです。
イエスは神の右の座におられ、それゆえ、私たちを支配しておられます。そして私たちのためにとりなしておられます。それはつまり、ご自身の完成された贖いの御業が、私たちを絶えず救い、永遠の喜びへと私たちが安全に導かれるよう、見守ってくださっているということです。イエスの愛は単なる思い出ではありません。私たちを永遠の喜びへと導くための、全能なる生ける神の子による、一瞬一瞬の行動なのです。
この愛は、エペソ人への手紙5章25節で語られる愛です。「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」 その愛は、キリストがご自分の花嫁である教会を愛される愛です。キリストはすべての人を愛し、ご自分の花嫁には特別な愛を持っておられます。その愛は私たちに救いを与え、私たちを保ちます。あなたがキリストを信じているなら、あなたは自分がその花嫁の一部だと分かります。キリストを信じる人なら誰でも(ここに例外はありません)、自分はキリストの花嫁の一部、教会の一部、キリストに召され選ばれた者の一人、何があっても保たれ、守られる者たちの一人である(ローマ8:35)と言うことができるのです。
死は必ず訪れます。しかし、死が私たちをキリストから引き離すことはありません。パウロが35節で「剣」が私たちをキリストの愛から引き離すことはない、と言ったのは、たとえ私たちが殺されても、キリストの愛から引き離されることはないという意味です。
ですから、35節をまとめるとこういうことになります。イエス・キリストは今、全能なる、一瞬一瞬の愛で、ご自分の民を力強く愛しておられます。それは、私たちを常に災難から救い出すのではありませんが、苦しみや死を通してもなお、イエスの臨在の中で私たちが永遠の喜びを得るために、私たちを保ってくださる愛です。