9月9日 第253日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 09月 09日 - この記事は約1分で読めます。
あなたには、何か、もらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。 (コリント人への手紙第一4:7)
あなたには、何か、もらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
救いが、あなたの住む家だと想像してみてください。
この家はあなたを守ってくれます。この家には永遠に続く食べ物や飲み物がストックされています。また決して朽ちることも、崩れ落ちることもありません。窓を開ければ、あなたを満たす栄光の景色が広がります。
この家は、神が、ご自身と御子の大いなる犠牲のもとに建てられました。そして、神があなたに完全に無償で与えてくださったのです。
家の「購入」契約は、「新しい契約」と呼ばれています。条項には、こう記されています。「この家は、あなたがこれを賜物として受け取り、あなたとともに住まわれる御父と御子を喜ぶなら、これはあなたのものとなり、あなたのものであり続ける。あなたは、この家に他の神々を宿らせて神を冒涜したり、他の宝を追ってあなたの心をそらしてはならない。ただこの家における神との交わりに満足を見出さなければならない。」
この契約に「同意します」と答えておきながら、弁護士を雇って、どうにかこの家の代金を支払おうと毎月の支払い計画に基づく返済予定を立てるとしたら、それはあまりに愚かなことだと思いませんか?
あなたはこの家を賜物(贈り物)としてではなく、購入したものとして扱うことになるでしょう。神はもはや、無償で恩恵を与える存在ではなくなります。そしてあなたは、そもそも神があなたに課すつもりもなかった新たな請求の奴隷となるのです。
もし恵みが本来無償なら——それこそが「恵み」の意味ですが——、私たちは恵みが返済されるべきものだと考えることはできません。