結婚におけるイエスの喜び

10月18日 第292日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 10月 18日  - 

夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、……栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

エペソ人への手紙5:25-27

結婚に多くの苦悩がある理由は、夫や妻が自分だけの喜びを追い求めるからではなく、互いの喜びの中に自分の喜びを見出そうとしないからです。聖書が夫と妻に命じているのは、自分の喜びを相手の喜びの中に見出すことです。

聖書の結婚に関する箇所の中で、エペソ人への手紙5章25-30節ほど快楽主義的な箇所はあるでしょうか。夫たちは、キリストが教会を愛したように妻を愛せよ、と命じられています。

キリストはどのように教会を愛されたでしょうか? 25節に、キリストは「教会のためにご自分を献げられた」とあります。それはなぜですか? 26節に、「教会をきよめて聖なるものとするため」と書いてあります。ではなぜ、キリストはそのように願われたのでしょうか? 27節に、「栄光の教会を、ご自分の前に立たせるため」とあります!

そうです、これです! 「この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍」ばれました(ヘブル12:2)。この喜びとは? それはキリストの花嫁である教会との結婚の喜びです。血によって買い取った栄光の教会を、ご自分の前に立たせる喜びです。

イエスは、汚れた、きよくない妻を持つことはなさいません。だからこそ、イエスは死をもいとわず、婚約者をきよめて聖なるものとし、「栄光の」妻を御前に立たせるようにされたのです。キリストは、ご自分の花嫁の善のために、自ら苦難を受けられました。それがキリストの願いであったからです。

パウロはこれを、28-30節で夫たちに適用します。「同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。私たちはキリストのからだの部分だからです。」イエスは、夫たちと妻たち——そしてすべての人——に、こう言われました。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22:39)。結婚はこの戒めを適用すべき特別な場所です。ただ自分自身を愛する「ように」愛するだけではないからです。私たちはすでに、自分自身を愛しています。神があなたと一つとしてくださった夫・妻を愛するとき、それはあなた自身を愛することと同じです。それは、あなたの最大の喜びが、あなたの夫・妻の最大の喜びのうちに見出されるということです。

{※クリスチャン快楽主義(Christian Hedonism)とは何か}

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Jesus’s Joy in Marriage .
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Jesus’s Joy in Marriage .