11月5日 第310日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 05日 - この記事は約2分で読めます。
こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。 ヘブル人への手紙2:3
こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。
あなたは心の内に救いのすばらしさを感じていますか? それとも、救いをないがしろにしているでしょうか?
救いのすばらしさに、あなたは応えていますか? それとも、救いを遺言状や車の所有権証書、あるいは家の権利書のように扱っていませんか? つまり一度サインしてしまえば、あとは書類をしまう引き出しに入れたままで、心の中ではさほどすばらしいものとは思っていないのではないですか。救いについて考えることは滅多になく、日々あなたに何の影響も与えないでしょうか。それは、救いをないがしろにしているということです。
しかし、そのすばらしい救いをないがしろにするとき、あなたは実際のところ何をないがしろにしているのでしょうか? ヘブル人への手紙の著者が「あなたのすばらしい救いをないがしろにしてはいけない!」と言う意味は、以下のようなものです。
この救いは、紛れもなくすばらしい救いです。これをないがしろにすることは、非常に悪であると言えます。これほどすばらしい救いをないがしろにしてはいけません。もしないがしろにするなら、私たちは処罰を逃れることができるでしょうか? ヘブル人への手紙の著者はこのことを問いかけています。「こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。」
ですから、クリスチャンでいることは、真剣勝負なのです。つまらないものなどではなく、真剣であるべきものです。私たちは自分のすばらしい救いを喜ぶことについて、心底熱心になるべきです。
私たちは、この世の罪のはかなく破滅的な快楽へと流されません。私たちは、神にある永遠の喜びをないがしろにはしません。それこそが、この救いの目的なのです。私たちは自分の目をくり抜いてでも、こんなにもすばらしい救いから決して離れません。