神の愛は条件付きか?

11月7日 第312日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 07日  - 

「……神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。/「神は高ぶる者には敵対し、/へりくだった者には恵みを与える。」/ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。

ヤコブの手紙4:6-8

ヤコブは私たちに、「さらに豊かな恵み」と神が「近づいてくださ」るという尊い体験があることを教えています。もちろん、これはすばらしい体験でしょう——さらに豊かな恵みが与えられ、神が特別に近づいてくださるのですから。しかし、私はあなたにこう問いかけます。この神の愛の体験は、無条件に与えられるものでしょうか? いいえ、違います。これを体験するには、私たちがへりくだり、神に近づくという条件があります。神は「へりくだった者には恵みを与える。……神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」

神の愛の尊い体験というものがありますが、そのためには私たちが高慢と戦い、謙遜を追い求め、神に近づくことを大切にする必要があります。これらが条件なのです。当然、この条件自体も神が私たちのうちに働いてくださることで成し遂げられるものです。しかしそれらが、私たちが果たすべき条件であることに変わりはありません。

もしこれが真実なら、今日語られている「神の愛は無条件だ」という聖書から安易に導き出した安心を与えるような言葉は、人々が切実に求める平安を存分に楽しむために行わなければならないことから、彼らを遠ざけてしまっているのではないでしょうか。「無条件」という言葉で平安を与えようとすることで、私たちはかえって、聖書が示す本当の解決策から人々を断ち切ってしまっているかもしれません。

確認しておきますが、私たちは、神の愛による選び、神の愛によるキリストの死、そして神の愛による私たちの新生——新しく生まれること——は、すべて完全に無条件であることを明確に宣言します。

そして、私たちの義認は自分自身の従順と犠牲ではなく、キリストの従順と犠牲の価値に基づいているという福音を、私たちはたゆまず宣言します(ローマ5:19、「すなわち、ちょうど一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、一人の従順によって多くの人が義人とされたのです。」)

しかしまた、もう一つの聖書の真理を宣言しましょう。それは、神が恵みを与え、神が近づいてくださるという最も満たされる甘美な体験は、日々へりくだって神に近づく者が楽しむ体験であるという真理です。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Is God’s Love Conditional.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Is God’s Love Conditional.