11月10日 第315日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 10日 - この記事は約2分で読めます。
心に恐れを覚える日/私はあなたに信頼します。 詩篇56:3
心に恐れを覚える日/私はあなたに信頼します。
私たちの不安が不信仰に根ざしているという真実に対して、想定される反応の一つは次のようなものです。「私はほとんど毎日不安を感じています。つまり神の恵みに対する私の信仰は、よほど不十分なのでしょう。そうなると、自分が本当に救われているのか、確信をもてなくなるのです。」
このような懸念に対して、私はこう答えます。あなたはカーレースに参加しているとします。そしてあなたの対戦相手は、ゴールまで完走させまいと、あなたのフロントガラスに泥を投げてきました。その瞬間あなたがゴールを見失ったり、コースから外れたりしたとしても、あなたがレースを棄権することにはなりません。
そして当然、あなたが間違ったレースコースを走っていることにもなりません。もしそうなら、あなたの対戦相手——あなたの敵——は、わざわざあなたの邪魔をしようとはしないでしょう。その時にあなたがすべきことは、ワイパーを動かすことです。
不安が襲いかかり、神の栄光と、私たちに神が抱いてくださっている将来の計画が霞んで見えなくなるときがあります。しかし、それは私たちに信仰がないとか、天国に行けなくなるとかいうことではありません。ただ、私たちの信仰が攻撃されているというだけです。
最初の一撃で、神の約束に対する私たちの信仰は失速したりふらついたりするかもしれません。しかし、道から外れずにゴールまで辿り着けるかどうかは、恵みによって抵抗のプロセスを稼働させるかどうかにかかっています。つまり、不安という不信仰に立ち向かうかどうかです。私たちは、ワイパーを作動させているでしょうか?
詩篇56篇3節には、こうあります。「心に恐れを覚える日/私はあなたに信頼します。」
「私は決して恐れに悩まない」と言っているのではないことに注目しましょう。恐れは突然訪れ、戦いは始まります。ですから聖書は、真の信仰者は不安を抱くことはないなどとは考えません。むしろ聖書は、恐れが訪れたときに私たちがどう戦うべきかを教えます。ワイパーを作動させる方法を教えてくれるのです。