11月13日 第318日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 13日 - この記事は約2分で読めます。
また、神がご自分の安息に入らせないと誓われたのは、だれに対してですか。ほかでもない、従わなかった者たちに対してではありませんか。このように、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことが分かります。 ヘブル人への手紙3:18-19
また、神がご自分の安息に入らせないと誓われたのは、だれに対してですか。ほかでもない、従わなかった者たちに対してではありませんか。このように、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことが分かります。
イスラエルの民は紅海が分られるのを目の当たりにし、乾いた地を歩いて海を渡りました。それでも、喉が渇いたとき、彼らの心は神に対して頑なになり、神が彼らを養ってくださることを信じませんでした。彼らは神に抗議し、エジプトでの生活のほうが良かったと不満を述べたのです。
ヘブル人の手紙は、このような事態を防ぐために書かれました。あぁ、何と多くの信仰告白するクリスチャンが、神との歩みを始めることでしょうか。彼らは罪が赦されること、そして地獄を逃れて天国に入れることを聞きます。そしてこう言うのです。「もはや失うものもない。信じようじゃないか。」
しかし、一週間、一ヶ月、一年、十年と経つなかで、試練が訪れます。荒野で水が得られない日々、マナに飽き飽きする日々です。そして、知らず知らずのうちに、エジプトでのつかの間の快楽への渇望が大きくなっていきます。民数記11章5-6節にある通りです。「エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」
この状態に陥るのは、恐ろしいことです。キリストとみことば、祈り、礼拝、宣教、そして神の栄光のために生きることに対する興味を失った状態です。そしてこの世のさまざまなつかの間の快楽のほうが、御霊のものより魅力的だと感じるのです。
もしあなたがこの状況にあるなら、どうか、この聖句を通して聖霊が語られることを聞いてください。「彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことが分かります。」 神のことばに心を留めてください。心を頑なにしてはいけません。罪の欺きに目を覚ましてください。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えてください。そして、キリストにある確信と希望を持ち続けてください。
そしてもし、あなたがまだ神との歩みを初めていないなら、どうか神に希望を置いてください。罪に背を向け、自分に頼ることをやめ、この偉大な救い主に確信を持ってください。これらのことは、あなたが信じ、耐え忍び、生きるために書かれているのです。