11月19日 第324日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 19日 - この記事は約2分で読めます。
ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 ヘブル人への手紙4:16
ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
私たちはみな、助けを必要としています。私たちは神ではありません。弱さもあり、混乱することもあり、あらゆる限界を抱えています。ですから、助けが必要なのです。
しかし、それだけではありません。私たちにはみな、罪があります。ですから心の奥底では、自分に必要なはずの助けを受ける資格などないと感じています。そうして私たちは、行き詰まってしまうのです。
私も人生を生きるために、また死に対処するために、また永遠と向き合うために、助けが必要です。私の家族、配偶者、子どもたち、孤独の問題、仕事、健康、経済のことにおいても助けが必要です。私は助けを必要としています。しかし、私にはその助けを受ける資格がないと感じるのです。
では、私はどうすればいいのでしょうか? 助けが必要であることをすべて否定して、助けの要らないスーパーマンまたはスーパーウーマンのふりをすることもできます。あるいは、すべてをごまかして、自分の人生を快楽の海に沈めるべきでしょうか。あるいは、絶望という麻痺状態に身を任せるほかないでしょうか。
しかし神は、この絶望的な状況に対してこう宣言されます。イエス・キリストは大祭司となられた——それは、絶望を希望によって打ち砕き、スーパーマンやスーパーウーマンをへりくだらせ、溺れかけた哀れな人を救い出すためである、と。
そうです、私たちはみな助けが必要です。また同時に、私たちは誰一人、その助けを得る資格を持っていません。しかし、絶望にも、高慢にも、情欲にも「ノー」を突きつけましょう。神が何を語っておられるか、目を向けてみてください。私たちには偉大な大祭司が与えられています。だからこそ、神の御座は恵みの御座なのです。その御座から与えられる助けは、折にかなった助けのあわれみと恵みです。助けの恵みです! 私たちにその資格があるからではありません。恵みによる助けです。そのために、大祭司イエス・キリストはご自分の血を流されたのです。
あなたは決して行き詰まっていません。あなたを欺こうとする言葉に、「ノー」を突きつけてください。私たちは助けを必要としています。確かに、その資格はないでしょう。しかし、助けを受けることができます。大祭司である神の御子イエスを受け入れ、信じ、イエスを通して神に近づくなら、今この瞬間、そして永遠に、助けが与えられます。