11月24日 第329日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 24日 - この記事は約2分で読めます。
そこで神は、約束の相続者たちに、ご自分の計画が変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されました。それは、前に置かれている希望を捕えようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはあり得ません。 ヘブル人への手紙6章17-18
そこで神は、約束の相続者たちに、ご自分の計画が変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されました。それは、前に置かれている希望を捕えようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはあり得ません。
どうしてヘブル人への手紙の著者は、私たちに希望を捕えるよう励ましているのでしょうか? もし私たちが希望を最終的に享受することが、イエスの御血によってすでに獲得され、決定的に保証されているなら、なぜ神は私たちに、その希望を捕えるようにと命じられるのでしょうか?
答えを以下に挙げましょう。
キリストが死なれたことによって、私たちもまさに、パウロがピリピ人への手紙3章12節で語っているようになるはずです。「私は……ただ捕えようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」 罪人に対して、神に希望を抱かせることは、愚かなことではありません。それは福音です。なぜなら、それはキリストによらなければ決してできないことだからです。
ですから、私は心からあなたにも勧めます。キリストがあなたを捕えた目的のために、あなたの手を伸ばして、しっかりとそれを捕えてください。あなたの力を尽くして、それを握りしめてください。その力こそ、キリストの力です。キリストの御血によって贖われた、あなたの従順という賜物です。