感謝に欠ける心の根底にあるもの

11月28日 第333日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 11月 28日  - 

彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。

ローマ人への手紙1:21

神への感謝が人の心に生まれるとき、神は私たちの祝福の豊かな源としてあがめられます。神は与える方、恵みを施す方として認められ、それゆえに栄光に満ちた方とされます。

しかし、神の偉大な善良に対する感謝が私たちの心に生まれないとき、私たちはおそらく神をほめたたえることを望まないでしょう。私たちに恵みを施す方として、神をあがめようと思わないはずです。

そして人間が本来の性質として、感謝をもって神をあがめたり、恵みを施す方として神をあがめたりすることを望まないのには、それなりの理由があります。それは、自分自身の栄光が損なわれるからです。人は誰でも生まれながらにして、神の栄光よりも自分自身の栄光を愛しているものです。

感謝に欠ける心の根底には、常に自分の偉大さを愛する思いがあります。心からの感謝は、私たちが努力なしに相続財産を受ける者であることを認める行為だからです。私たちは、イエス・キリストという十字架のかたちをした松葉杖に頼って生きる、足の不自由な者です。神の憐れみという人口肺によって一分一秒の命を繋いでいる、全身麻痺の人間です。私たちは天国の乳母車の中で眠る幼子に過ぎません。

人は生まれながらに、救いの恵みなしには、自分がこのような存在だと考えるのを嫌います。つまり、受けるに値しない受益者、足の不自由な者、全身麻痺の者、幼子としての自分です。なぜなら、このような存在は、自分の栄光を奪い取り、そのすべてを神のものとして献げるからです。

ですから、人が自分の栄光を愛し、自己充足を誇らしげに掲げ、自分が罪に病んだ無力な存在だなどと考えたくもないと思っているあいだは、真実の神に対する心からの感謝は決して生まれることはありません。そのため、神を神としてあがめず、ただ自分をあがめます。

イエスは言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」(マルコ2:17)。

イエスは、自分は丈夫だという人に仕えるために来られたのではありません。イエスはもっと偉大なことを求めておられます。それは、私たちが自分は優れていないことを認めることです。これは、高慢な人にとっては悪い知らせです。しかし、見せかけの自己充足を手放し、神を求める人にとっては、蜜のように甘い言葉でしょう。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, The Root of Ingratitude.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:The Root of Ingratitude.