堕落した世界における結婚の現実と希望

リチャード・ブラッシュ(著者) 、富田美代子(編集) - 2025年 10月 09日  - 

この世の結婚の現実

「それから、いつまでも幸せに暮らしました。」

皆さんご存じのように、西洋の童話の多くはこのように締めくくられます。一昔前のディズニー映画の多くも、最後の場面はプリンスとプリンセスの結婚式で、「それから、いつまでも幸せに暮らしました」、チャンチャン、という感じで終わっていましたね。

さて、ディズニーの影響だけではありませんが、一部の人は、結婚さえすればいつまでも幸せだろう、と思っているのではないでしょうか。結婚式に呼ばれたら、「末長くお幸せに」とも言いますよね。教会においても、そう考えている方は少なくありません。結婚の現実は理想化され、あるいは美化されてしまっています。

一方、日本では、婚姻率が年々減少しているのも事実です。1992年には5%だった男性の生涯未婚率(一生結婚しない人の割合)は、2021年には4倍の20%となりました。女性の生涯未婚率も、1992年の6%から2021年は17%へと3倍に増えています。

『一部の人は、結婚さえすればいつまでも幸せだろう、と思っているのではないでしょうか。』

その理由は何でしょうか。うまく異性と付き合えない人もいるようですし、同性愛の指向のある方もいるでしょう。また、社会現象としての「草食系男子」などが問題視されることもあります。しかしこういった理由よりも、約30%の若者は「自由さや気楽さを失いたくない」という理由で結婚を望んでいないと言われています。これは、女性に特に多い理由だそうです。ある意味では、結婚の現実の厳しさを承知している層もあるようですね。

しかし、面白いことに、世論調査などで「結婚に前向き」の割合はこの30年間、あまり変わっていないようです。では何が変わっているかといえば、結婚希望達成率です。結婚したくてもしない、あるいはできない人が増えているということです。その大きな理由の一つは経済的問題で、年収が少ない人は結婚を諦める傾向にあると言われています。また、25歳以上の男女では、「相手がいない」のが一番大きな理由だそうです。結婚していない理由を「適当な相手にめぐり合わない」と嘆く男性は43%、そして女性は48%に上っています。

一方、日本の離婚率は35%前後です。離婚に至らなくとも、事実上の離婚、あるいはセックスレスの夫婦も多いと言われています。

結婚したくてもできない人が多くいる一方で、「結婚しなきゃよかった」あるいは「この人と結婚しなきゃよかった」と嘆く人も多いのです。結婚するために苦労し、結婚してからさらに苦労する、これが、堕落した世界における結婚の現実です。

聖書が教える結婚の現実

教会も、残念ながらこのような厳しい現実の中にありますが、イエスは、マタイの福音書19章で、基本的に(淫らな行いが理由である場合を唯一の例外として)離婚を禁止されました。そこで、結婚の厳しい現実を考えた弟子たちも、驚きを隠せず、「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです」と言います(マタイ19:10)。

『結婚するために苦労し、結婚してからさらに苦労する、これが、堕落した世界における結婚の現実です。』

イエスは、マタイの福音書19章で、創世記2章の結婚についての教えをそのまま承認されます。特に、結婚の関係が創造において神から与えられること、また新しい家庭の中心としての、一心同体の関係が結婚の基本であること、そして結婚の関係が一生モノであることがここで強調されています。

しかし、あんなに「良きもの」のはずだった結婚が、10節の弟子たちの反応を起こすのはなぜでしょうか。ここで私たちは、創世記3章が示す人間の堕落の現実を考慮しなければなりません。その直前の創世記2章25節には、堕落前のアダムとエバは「ふたりとも裸[ヘブル語では、『アルーミーム』]であったが、恥ずかしいとは思わなかった」とあります。裸であったというのは、お互いに隠すことが全くない、という状態です。しかし、その次の節(3:1)で状況が一変します。

「さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。[アルーム]」

この「ズル賢い」蛇の誘いに従って、人間は罪に堕落します。蛇の悪い[アルーム]によって、自分たちの裸[アルーミーム]に気づき、必死になって身を隠そうとします。そして神からも隠れようとします。

さらに、堕落が結婚関係にもたらす悪影響は、隠し合う恥ずかしさだけではないことが、創世記3章16節の主のみことばによって明確にされています。

女にはこう言われた。

「わたしは、あなたの苦しみとうめきを

大いに増す。

あなたは苦しんで子を産む。

また、あなたは夫を恋い慕うが、

彼はあなたを支配することになる。」

『堕落後の結婚は、自律と自己満足を求める、隠し事の多い、約束を平気で破る、罪人同士の関係になってしまいました。だから苦しみと悲しみが伴うのです。』

一見、妻が夫を「恋い慕う」とは、良い響きがあるように思われますが、これは実は恐らく、夫に従わず、その権威を奪おうとする、妻の悪巧みを意味します。そして、夫の妻に対する「支配」とは、祝福のための、かしらとしての役割を優しく発揮するのではなく、妻を、自分に仕える者の立場にする、という悪い意味です。つまり、堕落後の結婚は、祝福と喜びに満ちている関係だけではなく、対立と自己中心が顕著となる関係でもある、ということです。

堕落前の結婚、神のご計画に従う結婚とは、仕え合って、支え合って、契約の約束を果たし合う関係でした。そして使徒パウロがエペソ人への手紙で言っているように、結婚とは、キリストと教会の関係を指し示す、尊い関係です。しかし、堕落後の結婚は、自律と自己満足を求める、隠し事の多い、約束を平気で破る、罪人同士の関係になってしまいました。だから苦しみと悲しみが伴うのです。

マタイの福音書19章でイエスが述べた結婚の原則にもかかわらず、教会の中においても、離婚で終わる結婚は絶えません。また、結婚が大変そうだから、それを求めない、異性との関係自体を面倒臭がってしまう人が多いのも現実です。

現実の結婚への適用

では、これまで見てきた聖書の教えをどのように適用すれば良いのでしょうか。結婚というテーマについて、慎重に、かつ思慮深く教会で教える必要があると思います。ここでは4つの適用を考えます。未婚者と既婚者に向けて、それぞれ2つです。

まず、未婚者に対して、(1)現実を見よ、(2)躍起になりすぎず仕えなさい。

『この「性格が合わない」ことは、罪人同士を長年一緒にしたら多かれ少なかれ必ず起こることです。私たち信仰者はこの事実を聖書から知っているはずですが、どうしても結婚になると、それを見逃してしまいがちです。』

そして、既婚者に対して、(1)現実を隠すな、(2)絶望せずに忍耐しなさい。

未婚者への適用

最初に、未婚の方へ。第一に、現実を見よ、ということです。

少し個人的な話になりますが、私の妻は翻訳者です。(翻訳の仕事も厳しい現実ですが、それは別の話です。)妻は今、ポール・トリップの『結婚』という、分厚い本の翻訳に取り組んでいます。現在の版は『結婚』(Marriage)という書名ですが、前の版(初版)は What did you expect?、訳すと『結婚を何だと思っていたの?』あるいは、『結婚から何を期待していたの?』という書名でした。

現実に、多くの人にとって実際の結婚生活は多少なりとも期待はずれになります。

「こんなはずじゃなかった!」

それは、冒頭に取り上げた「ディズニー」などによって形成された「末長く幸せ!」という結婚観があるからです。

確かに、一般的に言えば既婚者の方が幸福度が高いと言われていますが、結婚当初のドキドキした幸福は、2~3年で消えてしまいます。もっと早い夫婦も大勢います!どの結婚においても、苛立ちやフラストレーションによる喧嘩がありますが、ひどい場合は、嫌悪、後悔、激しい怒りと孤独を感じ、そして絶望にさえ陥ることもあります。

日本において離婚の一番大きな理由は「性格が合わない」ということだそうです。しかし、この「性格が合わない」ことは、罪人同士を長年一緒にしたら多かれ少なかれ必ず起こることです。私たち信仰者はこの事実を聖書から知っているはずですが、どうしても結婚になると、それを見逃してしまいがちです。あるいは、恋愛関係の真っ只中ですと、自分の場合だけは適用外だと思いがちです。私は結婚前のカウンセリングを導くことがありますが、結婚前のクリスチャン・カップルは「幸せで〜す」オーラを漂わせ、結婚には困難が伴うという事実を信じることができなくなっています。

『結婚がすべてというわけでもなく、信仰者が躍起になって結婚ばかりに執着してはいけません。実際に、結婚して多くの苦労を経験する人が多いのも現実です。』

しかし、私たち信仰者は、罪の現実を受け止めなければなりません。ですから、未婚者の皆さん、現実を見てください。結婚さえすれば、いつまでも幸せになるかというと、決してそうではありません。例えば、結婚したからといって、性的罪との戦いが終わるわけではありません。結婚したら自分は絶対離婚の誘惑にさらされることはない、と思わないでください。独身でいるのも難しいでしょうが、結婚もまた、難しい使命です。そしてクリスチャンは、基本的に離婚をしてはいけません。ですから、イエスの弟子たちのように、結婚の現実を見てください。

そのため、未婚者への第二の適用は、躍起になりすぎず仕えなさい、ということです。誤解しないでいただきたいのですが、未婚の皆さんに「大変だから結婚をやめなさい」などとは言っていません。結婚は、依然として、堕落にもかかわらず、神からの良き贈り物であり、大きな祝福になり得るのです。しかし、結婚がすべてというわけでもなく、信仰者が躍起になって結婚ばかりに執着してはいけません。実際に、結婚して多くの苦労を経験する人が多いのも現実です。

もちろん、結婚を求めるのは良いことです。しかし、結婚ができないからといって、人生は未完成とか、不十分だと考えるのは間違いです。イエスは完璧な人間でしたが、一度も恋愛関係はなかったでしょうし、結婚もされませんでした。使徒パウロもまた、結婚しなかったのです。

それでも多くの人は結婚をしますが、イエスが弟子たちに言われたように、結婚をしない人々もいます。マタイの福音書19章11節を見ればわかりますが、結婚をしないこと「が許されている人だけが」結婚しないのです。「許されている」というと、彼らが結婚しないことを積極的に求めているように見えますが、必ずしもそうではありません。ギリシャ語を文字通りに訳すと、「そのことば[つまり、『結婚しないほうがましです』という言葉]は、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、この言葉が与えられている(つまり、賜物として与えられている)者だけができるのです。」となります。つまり、結婚をしないことができるというのは「与えられている」ものですね。これも、主の摂理の一つです。

『妻たちよ、ご主人に喜んで従っていますか。夫たちよ、奥さんのために、自分を捨てて、仕えていますか。二人で力と祈りを合わせて、一緒に神様に仕えていますか。』

もう一度言いますが、結婚相手を求めるのは悪いことではありません。しかし、与えられないからと不平不満を言うのは罪ですし、パートナーが与えられれば絶対幸せになれる、もっと豊かな人生を送れる、あるいはもっと実を結ぶ働きができるとは、全く保証されていません。ですから、未婚の皆さんは、まだ結婚していなくても、神に仕えることに励み続けましょう。また、今は気楽に生き、そして結婚をしてから責任を担っていこう、一人前の奉仕者になろう、と考えてはいけません。むしろ今、独身の時から、自分を捨て、他者を重んじる練習と、信仰者としての人格形成に力と祈りを注いでいこうではありませんか。そうすることによって、もし将来結婚相手が与えられれば、結婚のための最高の準備となるでしょう。

では、未婚者への奨励をまとめます:(1)現実を見よ、(2)躍起になりすぎず仕えなさい。

既婚者への適用

次に、既婚者への適用です。(1)現実を隠すな、(2)絶望せずに忍耐しなさい。

まず、現実を隠すな、ということですが、既婚者の皆さん、今のあなたの結婚生活はいかがですか。SNSで発信する結婚生活ではなくて、本当の結婚生活です。妻たちよ、ご主人に喜んで従っていますか。夫たちよ、奥さんのために、自分を捨てて、仕えていますか。二人で力と祈りを合わせて、一緒に神様に仕えていますか。

私は結婚22年目です。もっと長い方もいらっしゃるでしょう。結婚歴の長いクリスチャン、特に教会のリーダーは、自分の結婚生活の現実を隠さず、次世代の信仰者に(ある意味で)見せる必要があると思います。辛いこともある、食い違いがある、喧嘩もする、時として別れたくさえなるなどという、罪人同士の結婚の現実を明らかにすることによって、未婚の信仰者に、信仰者同士の結婚の現実をしっかりと知ってもらえます。そうすれば、彼らは結婚を理想化や美化などしないでしょう。同時に、未婚のクリスチャンは、私たちの証を聞くことによって、福音の力を知り、主の優しさから励ましと希望も得られるのです。

『未婚のクリスチャンは、私たちの証を聞くことによって、福音の力を知り、主の優しさから励ましと希望も得られるのです。』

私の今までの結婚生活を振り返れば、本当に山あり谷ありの道のりでした。私たち夫婦は、比較的若いときに結婚しました。私は23歳、妻は24歳でした。結婚前、何回か喧嘩をしましたが、結婚生活が長くなるにつれて、文化の違い、性格の違い、価値観の違い、自分が思う「当たり前」の違い、そして罪による摩擦が顕著になり、深く戸惑うこともありました。何度も何度も悔い改めをし、何度も何度も同じ罪を犯してしまう日々が続きました。結婚カウンセリングに頼ることもあり、先が見えない時もありました。

結婚前、アメリカ軍の横須賀基地に住んでいるクリスチャン夫婦が私たちを夕食に招待してくれました。そしてその夫婦は私たちにこのようにアドバイスしてくれました。

「離婚」という言葉を自分の辞書から完全に削除しなさい、と。

婚約中の私たちは思いました。「もちろん、私たちは離婚なんか考えもしませんよ。」しかし、堕落した世界における結婚の現実、罪人同士の結婚の現実を経験した私たちは、このアドバイスを何度も思い起こすことになります。実際、「クリスチャンじゃなかったら、離婚を考える」と思ったこともあります。でもクリスチャンなので、「離婚」という選択肢を消していたので、結婚を続けることができました。離婚の道を進まなかったのは、私たちが立派だからではありません。大した罪を犯さない、敬虔な信仰者だから、ということでもありません。ただ、福音の希望があるから、それだけです。結婚生活を続けていく力、罪を赦すことができる力、悔い改める力、この福音が与えてくれる力があるからこそ、希望があったのです。

そしてこれこそ最後の、既婚者への適用ですけれども、絶望せずに忍耐しましょう。

多くの人にとって、そして多くの信仰者にとって、結婚は難しいです。罪人同士の関係ですから、それは当たり前かもしれません。しかし、イエス・キリストの福音は希望を与えてくれるのです。どのような希望かというと、3つあります。

『結婚生活を通して、私たちの罪が顕著に見えることがあります。もちろん相手の罪も、です。そこで、度重なる悔い改めと赦し合いの実行が私たちに求められています。』

第一に、福音は赦しの根拠を与えます。結婚において、赦す、そして何度も何度も、赦し合う必要があります。当然ですが、赦しは容易ではありません。傷が深い時もあり、理不尽な扱いもあるからです。しかし、福音によって、イエスを信じることによって、私たちはすべての罪を神に赦していただいています。赦された者として、私たちは妻や夫を赦さなければなりませんし、赦すことができるのです。エペソ人への手紙4章32節が言うように「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」これはもちろん、すべてのクリスチャンに与えられている命令です。しかし、結婚関係においては特にそれを実行する機会が多いでしょう。

以前、ある牧師がこのように言っていました。「私は、自分は基本的に優しい人だと思っていました。しかし結婚したら違うとわかりました。また、自分は基本的に忍耐深い人だと思っていました。しかし、子どもが生まれたら違うと分かりました。」

時として優しくない、時として短気なのは、決してこの牧師だけではありません。結婚生活を通して、私たちの罪が顕著に見えることがあります。もちろん相手の罪も、です。そこで、度重なる悔い改めと赦し合いの実行が私たちに求められています。

イエス・キリストの福音が結婚している人々に希望を与える第二の理由として、福音は、本当の変化をもたらします。

私たちは、死ぬ日まで罪との戦いが続きます。しかし、キリストにあって、私たちはその戦いにおいて無力ではありません。内住してくださる、聖霊の力によって、私たちは本当の変化、そして本当の罪に対する勝利を経験することができます。また、私たちの失敗や敗北においても、イエスの恵みがどれほど必要かを、さらに痛感するようになります。

創世記3章から、堕落後の結婚の関係がどのようになったかを見てきました。しかし同時に、福音によって、結婚の関係は、私たち信仰者を精錬する火にもなり得るのです。既婚者の皆さん、このような経験があるならば、感謝しようではありませんか。そして、私たちの、福音の力についての証を、未婚の兄弟姉妹、そして今現在結婚において苦しんでいる兄弟姉妹に分かち合おうではありませんか。結婚している信仰者も、時として励まし、支え、サポートが必要です。教会が、そのような励まし、支え、サポートを与えることができる群れになりますように、祈りながら努力していきましょう。

『地上の結婚は、不完全であり、過ぎ去っていくようなものですが、すべての信仰者が永遠に楽しむ、完全なキリストとの関係を指し示しているからです。』

最後に、イエス・キリストの福音が結婚している人々に希望を与える第三の理由は、福音における結婚はキリストと教会との関係を指し示すからです。この事実は、結婚している人たちだけではなく、結婚していない人たち、配偶者に先立たれた人たち、離婚している人たち、全ての信仰者にとって、希望の源だと思います。というのは、地上の結婚は、不完全であり、過ぎ去っていくようなものですが、すべての信仰者が永遠に楽しむ、完全なキリストとの関係を指し示しているからです。今結婚していなくても、一生独身でも、キリストを信じることによって、より優れた関係があなたに約束されています。

結婚していて今幸せな人たちは、感謝しながら、さらなる成長を目指しましょう。あなたの結婚は、あなたが永遠にキリストに結ばれる関係のための下準備だからです。自分の結婚関係がキリストと教会を指し示していることを喜び、一層その表現がふさわしくなるように、努めていこうではありませんか。

また今、結婚していて、本当に大変だと思う人たちは、諦めないでください。神はあなたの結婚を改善することができますし、たとえ、そうならなくても、信仰者から絶対に奪われることのない、完全な喜びの関係が待っているのです。

この記事は『性・結婚・ジェンダー』を聖書から学ぶ – CBS教授陣メッセージシリーズ第1回目です。

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