定義
歴史神学は、キリスト教神学の発展を順序だてて述べる学問です。
概要
歴史神学は、教会史と深く関連していますが、教会史と一線を画してもいます。教会史は組織としての教会の歴史と、教会が社会の中でどのような位置づけにあったかという歴史に関心を持ちます。歴史神学はキリスト教思想史や、教義史とも区別されますが、もちろん、これらの学問間でかなり重複する部分があります。歴史神学はキリスト教神学の発展を、教父時代(紀元100-500)、中世(紀元500-1500)、宗教改革時代(1500-1600)、宗教改革後(1600-1700)、近現代(1700-現在)の時代区分に沿って、たどっていきます。
定義と問題
1971年、ヤロスラフ・ペリキンは歴史神学の特徴を捉え、歴史神学を「キリスト教の信仰と教理の遺伝的研究」と言い表しましたが、この表現はとてもあいまいです。2世紀、3世紀の偉大な神学者に尋ねたとしたら、教理は神によってキリストのうちに啓示され、使徒たちによって正典に記され、誤りなく忠実に教会に伝えられたものだと答えたことでしょう。彼らの理解では、「信仰の類比」は時代が変化しても変わることのない、一連の固定的な信条だったのです。
しかし、歴史神学は、変化の研究です。したがっていつの時代にも歴史神学者の課題は、歴史を通じて一貫している教理と、時と場所によって変わる神学をいかに区別し説明するか、です。
現代、歴史神学の直面している最大の課題は、そもそも歴史研究は可能なのか、それとも歴史は主観と受容の海の中に失われてしまったのか、という問題でしょう。歴史家の数だけ歴史があるのでしょうか。これに対して私たちは、歴史家の仕事は過去について可能な限り真実を語ることである、と言うべきでしょう。つまり、「客観的な過去は存在し、課題はあるけれども、真実を語るに十分な過去の知識を得ることができる」という意味です。もし過去についての真実がないのであれば、歴史研究はひねくれた政治的な事業に従事しているに過ぎなくなってしまいます。だだし、先ほど「可能な限り」と書いたように、どんな歴史家も過去の全容を正しく知ることはできないと認識する必要があります。神学の過去自体は変わっていませんが、過去についてより多くを学ぶことによって私たちの理解が深まるため、何が起こったかについて私たちがどのように語るかは、絶えず修正されていくのです。
歴史神学者の基本的な仕事は、教会をはじめとする関係者が、過去の神学、敬虔、実践を思い起こすのを助け、それによって現代の神学的考察、頌栄、実践のための文脈を提供することです。現代の私たちは特に記憶喪失に陥りやすく、かつてないほどに古い時代の聖書の読み方、神学的考察、牧会的な知恵を必要としています。したがって、私たちは歴史神学をかつてないほどに必要としているのです。歴史神学は教理の歴史と発展、キリスト者の経験と信仰の実践の歴史に大きな関心を寄せますが、今日、神学的に何を信じるべきであり、実践すべきであるかを規定することは、歴史家の仕事ではありません。歴史神学が有用な学問であるためには、歴史神学は規範的ではなく、説明的(叙述的)でなければならないのです。
スティーブン・オズメントは、遊牧民と入植者という2種類の歴史家について書いています。前者は知的な歴史家であり、後者は社会的な歴史家です。歴史神学が思想の変化の歴史(思想史)を追う学問なので、学者の中には教理を文脈から切り離し、抽象的に捉えて研究する傾向が見受けられます。これを「語り手アプローチ」と呼んでもよいでしょう。このアプローチでは、歴史上の神学者が次々と文脈から切り離された語り手として考察されます。これはまた、歴史に対する「英雄と異端者」のアプローチと言えるかもしれません。哲学者や神学者は、このような研究を有用と考えますが、内容が必ずしも正確であるとは言えません。
このたとえにおける入植者タイプの歴史家は、社会的な歴史家です。私たちと同じように、神学者もある時代や場所の産物です。これを理解する社会的な歴史家は、歴史神学で貴重な働きをします。歴史上、どの神学者も、ある経済システム、政治システム、文化、物事の本質に関する様々な前提、そしてある言語の中で生きたわけです。神学者の発言を真に理解するためには、歴史家は彼がどこで、なぜそれを言ったのかを理解しなければいけないのです。人は何かを書くときに、必然的にその時代の問いに答えて書いています。書いた人がいつ、どこで生きたかを理解すればするほど、その人が誰に向かって、何を、なぜ言おうとしたかをより完全に理解することができるのです。私たちはもちろん、聖書を理解するためにこのような豊かな文脈的背景が必要であることを認めているのですが、神学の歴史を理解するためにも、このような背景理解が同じくらい必要だということです。
思想史のアプローチに対しては、第二次世界大戦後の歴史研究のほとんどの分野で、様々なマルクス主義の影響のもと、思想(教理)よりも文脈を優先する傾向がありました。思想は不誠実なもの、単なる宗教経験の表現、あるいは宗教的な教義を用いて労働者階級を支配しようとするブルジョアジ階級の試みの象徴であると見なされてきたのです。このような還元主義に対する最善の答えは、ある特定の場所と時代に何が実際に起こったのか、それに対して著者が何を書いたのかに注意を払うことです。様々な事実や一次資料、著作物に注意を払うと、還元主義的な(過度に物事を単純化する)主張を退けることができます。
これとは逆の、ある特定の時代を理想化する、「黄金時代アプローチ」と呼ぶことのできる問題もあります。歴史に対するこのようなアプローチの大きな問題は、これは歴史ではなく、歴史の仮面をかぶった神学であることです。どの時代のどの神学者の理解が正しかったかという判断は、歴史的判断ではなく、本質的に神学的判断です。優れた歴史神学者は、できるだけ明確で、理解があり、説得力のある説明をすることによって、自分自身を語っている物語から引き離します。語られた物語についてどのような判断をするかは、読者次第なのです。黄金時代アプローチのもうひとつの大きな欠点は、これでは過去についての不十分な説明で終わる点です。堕落以来、この地上に黄金時代は存在しませんでした。教会の歴史のどの時代、どの場所、どの神学者をとっても、よく観察してみれば、大きな罪と失敗があるのです。
過去40年間、歴史神学者を含む、クリスチャンの歴史家によって多く議論されてきた論点の一つは、歴史に対するキリスト教的なアプローチというものはあるのかということでした。この点に関してジョージ・マースデンなどは「ある」と論じ、D. G. ハートは「ない」と論じています。全教会的な信条や宗教改革後に生まれた信仰告白などにおいてキリスト教神学がまとめられたことは確かです。また、歴史的な出来事や人物の重要性について、神学がキリスト教的な解釈と、神学者の働きを評価する神学的なものの見方を生み出すことも確かです。ただ、現実に対するこのようなキリスト教的な解釈(世界観)が歴史を研究する上でキリスト教的な方法を生み出すかどうかは、定かではありません。
ペリカンは正しいのです。歴史神学は、教理の発展を遺伝的に研究するものです。初代教会は、2世紀半ばまでに「使徒信条」の核となる「信仰の類比」を告白していました。しかし、4世紀初頭に三位一体に関するより完全な教理を完成させたのは、アリウス論争でした。神学は、特定の文脈において、時間をかけて有機的に発展します。ときには、ある立場を擁護する論理の発展によって、ときには、聖書が継続的に研究されることによって、ときには、異端などの外的刺激(アリウス主義、ネストリウス主義、ユティキヤ主義、ペラギウス主義など)によって、神学は発展してきました。
歴史神学の歴史
ルネサンス以前は、使徒による教会形成期から中世の教会史上のさまざまな画期的な出来事まで、教会には「使徒の教会と異なる時代と場所にある」という感覚が漠然としかありませんでした。カロリング朝ルネサンス期には、ベーダ・ヴェネラビリス(尊者ベーダ)(紀元673頃-735)の著作、特に『イングランド教会史』以降、ベーダと同時代の人々は初代教会とは異なる時間と場所に生きているという歴史的感覚が芽生え、発展していきました。14世紀に始まるルネサンス以降、より鋭敏な歴史認識の覚醒がありました。
この歴史認識が、宗教改革運動において、自分たちこそ使徒の教会から脈々とつながって来た教会であるとの中世ローマ教会の主張を批判し、宗教改革者側が自らの正当性を主張することを可能にしました。このように宗教改革では、過去の意味をめぐる論争が始まったのです。プロテスタントは、「ルター以前のあなたの教会はどこにあったのか」というローマ・カトリックの問いかけに応え、13世紀以降の教会の歴史を語る『マクデブルクの世紀』(1559-74)を刊行しました。この作品は、歴史と神学を語った「反論」としての著作ですが、教理を含めて過去を理解することが、現在を理解する上で重要であるとの認識の広まりを証しする著作となっています。
18世紀の啓蒙主義運動では、歴史家たちが「今日」も歴史であるとの認識で学問をするようになりました。しかし彼らは、正統かつ歴史的なキリスト教に敵対しながら、神、世界、自己に関する、キリスト教と競合する説明(合理主義、経験主義、錬金術、神秘主義など)の影響下で、歴史学を研究しました。
19世紀、フェルディナント・クリスティアン・バウアー(1792-1860)は、G. F. W. ヘーゲル(1770-1831)の歴史哲学を、まずパウロ書簡に、次に贖罪、三位一体、受肉といった教理に適用しました。ヘーゲルの歴史論は、歴史とはある原理(例えばユダヤ人のキリスト教)と別の原理(例えば異邦人のキリスト教)が対立し、その対立が解決されて、その後再び歴史の過程が始まるという、弁証法的なものです。ヘーゲルの大きな影響の下で、「発展」は、「ある終末論的な目的に向かって進むこと」と同義になりました。この時期アレクサンダー・シュバイツァー(1808-88)が、ルーテル派と改革派の神学には中心的な教義があり、その中心からそれぞれの神学体系が組織されていると主張しました。彼によれば、ルター派神学の中心は義認の教義、改革派神学の中心は予定論の教義とされました。この分析は、19世紀後半以降、当然ながら手厳しい批判にさらされてきましたが、それでもかなりの影響力を持っています。
ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801-90)は、『教理の発展』という論文の中で、ローマ教会が聖餐について現在教えていることは、たとえ萌芽的なものだったとしても、ローマ教会が常に保持してきたことだと主張し、ヘーゲル的な歴史論を展開しました。ニューマンの発展的なアプローチの素晴らしいところは、教理の有機的な発展を認識したことです。欠点はヘーゲルの影響であり、結論がニューマンの神学と教会論の信念に基づいて本質的に先に決まっていることでした。
アドルフ・フォン・ハルナック(1851-1930)は、その代表作『教義史教本』(1886-89)において、初代教会は「メシアであるイエス」についてのダイナミックなケリュグマ(使信)を中心に、自然発生的に組織された運動として始まったが、使信が時を経て教会組織によって制定されるドグマ(教義)となったと論じました。この論理は不自然であり、すべての事実を十分に説明できないと批判されていますが、その後もかなりの影響力を持っています(例:カルヴァン対カルヴァン主義者の対比など)。
啓蒙主義後、マイケル・ポレイニ(1891-1976)は、書かれた物、事実、出来事は、読者が受け取り、受け取った人の時代と場所によって解釈されなければならないと論じました。しかし、リチャード・J・エヴァンス(1947年生)は、主観主義の深淵に陥ることなく、過去の真実を伝えるという歴史の有効性を見事に擁護しています。
中世後期の神学と宗教改革の関連性を明らかにしたハイコ・A・オーベルマン(1930-2001)の先駆的な研究は、弁証法に陥ることなく発展的に歴史を学ぶ力を示しました。彼の弟子であるデイヴィッド・シュタインメッツ(1936-2015)はオーベルマンの研究法を宗教改革に適用し、さらにその弟子であるリチャード・A・ミュラー(1948年生)は、1978年からプロテスタントスコラ学の研究に適用し、歴史に根ざした、包括的で発展的な歴史学の力を示してきました。
参考文献
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This article has been translated and used with permission from The Gospel Coalition. The original can be read here, Historical Theology. This essay is part of the Concise Theology series. All views expressed in this essay are those of the author. This essay is freely available under Creative Commons License with Attribution-ShareAlike, allowing users to share it in other mediums/formats and adapt/translate the content as long as an attribution link, indication of changes, and the same Creative Commons License applies to that material. If you are interested in translating our content or are interested in joining our community of translators, please contact The Gospel Coalition, INC.
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