思い煩いと慰め

マイク・エムレット(著者) 、ブラッシュ木綿子(翻訳) - 2022年 11月 08日  - 

今、どのような思い煩いや心配を抱えていますか。どのような困難に直面していますか。あなたの悩みに、神は関係ない感じがしますか。日々のプレッシャーの中で、神の臨在や助けを経験していますか。あなたの中で不安が膨らむ時、どんな感じがしますか。

私は昨日、聖書を読んでいる時、詩篇94篇の大好きな箇所に目が留まりました。

私のうちで 思い煩いが増すときに
あなたの慰めで私のたましいを喜ばせてください。

(19節)

英語のNASB訳を日本語にすると「思い煩いが 私の中で増殖するとき あなたの慰めが 私のたましいを喜ばせます」となります。この記事では神の慰めに焦点を当てたいのですが、まずは、詩篇の作者がとても現実的であることに注目しましょう。詩篇では、「私のうちで、もし、思い煩いが増すなら」ではなく、「私のうちで思い煩いが増すときに」と書かれています。堕落した世界での人生は大変です。大きな痛みが伴います。クリスチャンは、人生の落胆や試練、悲しみに蓋をして、問題の上にプカプカと浮いているわけではありません。そうではなく、私たちは、涙とともに種を蒔きます(詩篇126:5)。世にあっては苦難があります(ヨハネ16:33)。非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受けることもあります(IIコリント1:8)。私たちは、泣いている者たちとともに泣くのです(ローマ12:15)。

『力強いみことばによって、天と地にあるすべてのものを造られ、成り立たせておられる神(コロサイ1:16-17)は、大事な時に頼りにならないお方ではありません。』

では、人生の思い煩いが増すときに、私たちはどうすれば良いのでしょうか。神の慰めを探して、それを握り締めることが大切です。神の慰めには、マクロの視点からの慰めと、ミクロの視点からの慰めがありますが、この両方を考えると良いでしょう。マクロの慰めとは、神の御性質やみわざに関する根本的な真理です。こうした真理は、困難のただ中で、私たちに慰めと確信をもたらします。ミクロの慰めとは、その日のために、神が一人ひとりに合わせて備えてくださる、特定の慰めや祝福です。

自分の内に恐れや不安がこみ上げる時、どのようなマクロの慰めが助けとなるでしょうか。

  • 神の力  一羽の雀でさえ、神の許しなしに地に落ちることはない(マタイ10:29)という真理は慰めです。ハイデルベルク信仰問答の問1に、「(神は)髪の毛一本も頭から落ちることができないほどに、わたしを守ってくださいます」とあります。力強いみことばによって、天と地にあるすべてのものを造られ、成り立たせておられる神(コロサイ1:16-17)は、大事な時に頼りにならないお方ではありません。
  • 神の愛  神が、愛をもって御力を用いられることは慰めです。詩篇94篇18節に、神の恵みで私を支えてくださいとありますが、この恵みは、神の変わらぬ契約の愛です。神の忠実な、誠実な、尽きることのない愛は、イエス・キリストにおいて頂点に達しました。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか」(ローマ8:32)と、パウロが叫ぶのも頷けますね。
  • 神の知恵  神が御自分のなさっていることをよくご存知だ、ということも慰めです。神の力強い愛が、神の知恵の深い川に流れています。私たちの限られた視点では「もうダメだ!」と叫びたくなる時でさえ、私たちは自分を主に委ねることができます。これは、ヨブ記のテーマでもありますね。
  • 神の臨在  神が共にいてくださるという真理は慰めです。これが最も大切な慰めかもしれません。私たちは一人ではないのです。私たちは、神の力、愛、知恵について承知してはいるものの、神を、何か不在の父親かのように、どこか遠くで働いておられるかのように考えてしまうことがあります。しかし、聖書が私たちに教えてくれる最もすばらしい真理は、「神が私たちとともにおられる」です。「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても / 私はわざわいを恐れません。/ あなたが ともにおられますから。/ あなたのむちとあなたの杖 / それが私の慰めです」(詩篇23:4)。そして、この良い牧者は、聖霊の内住により、いつまでも私たちとともにおられます(マタイ28:20)。そして、私たちは、いつの日か、その御顔を仰ぎ見るのです(黙示録21:3)。

ミクロの慰めはどうでしょうか。イエス・キリストがくださる、具体的な恵みに目を向けることが重要です。その日その日を生きるのに十分な恵みです。困難な状況の真っただ中で立ち止まり、神に「今日、あなたがくださっている恵みに目を向けさせてください」とお願いするのは難しいのですが、例として、昨日私に与えられたミクロの慰めをお分かちしましょう。①よく行く喫茶店で働いている人が、私の同僚が牧会している教会の聖書の学びに集っていることを知りました。②今年初の吹雪で、道路状況が非常に悪かったにも関わらず、私の妻も、運転免許を取って間もない息子も、それぞれ運転が守られました。③喫茶店の近くで帰宅手段がなく困っていると、友人が四輪駆動の車で迎えに来てくれました。④愛犬のラブラドードルが雪の中をはしゃぐのを楽しめました。⑤暖かいベッドで眠れました。私は昨日、他にもキリストの恵みを様々な形で実感しました。

神は、エレミヤ書31章25節で、「わたしが疲れたたましいを潤し、すべてのしぼんだたましいを満ち足らせる」と、約束してくださいました。今日の思い煩いは何でしょうか。感じる不安を、あなたが方向転換するきっかけにして、父なる神に心を向けましょう。神は、困難の時に、多くの慰めを与えてくださるからです。

振り返りの質問

あなたのうちで思い煩いが増すと、どのように反応することが多いですか。困難な状況にある時、神の御性質の中で、どれがいちばん信じることが難しいですか。それはなぜでしょうか。今日、大変な中で与えられた、神に感謝すべきミクロの慰めには、具体的にどんなものがありましたか。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

This article has been translated and used with permission from the Biblical Counseling Coalition. The original can be read here, Cares and Consolations.
この記事は「Biblical Counseling Coalition」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Cares and Consolations