ハイデルベルク信仰問答の129問、ウェストミンスター小教理問答の107問に比べて、ニューシティーカテキズムには52の問いと答えしかありません。つまり1年を通して、1週間に1問、という配分ですので、教会のスケジュールに合わせやすく、また忙しい人も取り組みやすいペースで進められます。
ニューシティーカテキズムはカルヴァンのジュネーブ教会信仰問答、ウェストミンスター小・大教理問答、そして特にハイデルベルク信仰問答の内容を基盤とし取り入れています。宗教改革期の、豊かで深みのある素晴らしいカテキズムに触れることで、歴史的なカテキズムを深く探求することに繋がり、人生を通して学び続ける励ましになることを願っています。
このカテキズムは3つのパートから構成され、それぞれ学びやすいように各カテゴリーに分けられています。
伝統的なカテキズムの構成に倣って、各問答に関連する聖書箇所が記載されています。さらに、CBIPress書籍「ニューシティーカテキズム デボーション集」では、各問答の後には、短いコメンタリー(注解)として歴史上の著名な説教者の著書・説教から抜粋された文章、そして現代の神学者・説教者によるコメンタリーがあります。これらの言葉を道しるべとして、その日のテーマについて黙想し熟考してみましょう。各問答は、著者による短い祈りの言葉で閉じられています。
ニューシティーカテキズムのリソースの一覧をご覧ください。
第一部 神、創造と堕落、律法
問1 生きるにも死ぬにも、私たちのただ一つの希望は何ですか?
それは私たちが私たち自身のものではなく、生きるにも死ぬにも、体も魂も神のものであり、私たちの救い主イエス・キリストのものであることです。(ローマ14:7–8)
問2 神とはどんな存在ですか?
神はすべての人とすべてのものの創造主であり、維持者です。神はその力と完全さ、いつくしみと栄光、知恵、義、そして真理において、永遠であり、無限であり、変わることがありません。すべてのことが神を通し、そして神のみこころによって起こるのです。(詩篇86:8–10, 15)
問3 神のうちにはいくつの位格がありますか?
唯一、真の、生きておられる神には、三つの位格があります: 父、子、聖霊です。この三位は本質が同じで、力と栄光において等しいお方です。(IIコリント13:14)
問4 神はどのように、そしてどんな目的で私たちを創造されましたか?
神は私たちを神ご自身のかたちとして男性と女性とに造られ、神を知り、愛し、共に生き、神に栄光を帰するために造られました。神に造られた私たちが神に栄光を帰するために生きることは正しいことです。(創世記1:27)
問5 神は他に何を創造されましたか?
神はすべてのものをご自身の力強いみことばによって創造され、すべての神の創造物は非常に良いものでした。すべては神の愛の統治のもとで栄えました。(創世記1:31)
問6 私たちはどのようにして神に栄光を帰することができますか?
私たちは神を喜び、愛し、信じ、神の御心と戒めと律法に従うことによって神に栄光を帰することができます。(申命記11:1)
問7 神の律法は何を要求していますか?
個人の完全な、絶え間ない服従です。それは私たちの心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして神を愛することです。そして私たちの隣人を自分自身のように愛することです。神が禁じておられることを決して行わず、神が命令しておられることを常に行うことです。(マタイ22:37-40)
問8 十戒に記されている神の律法とは何ですか?
わたしの他に、他の神々があってはならない。あなたは自分のために偶像を作ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも作ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたはあなたの神である主の御名をみだりに口にしてはならない。安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。あなたの父と母を敬え。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。あなたの隣人のものを欲してはならない。(出エジプト20:3)
問9 神は、第一、第二、第三戒において、何を求めておられますか?
第一戒は、私たちが、唯一の生ける真の神を知り、信頼すること;第二戒は、私たちがすべての偶像礼拝を避け、ふさわしく神を礼拝すること;第三戒は、神の御名を畏れと尊厳をもって扱い、また神のみことばと御業を称えることです。(申命記6:13-14)
問10 神は、第四、第五戒において、何を求めておられますか?
第四戒は、安息日に私たちが公的に、そして私的に神を礼拝し、日々の労働を休み、主と人とに仕え、そして永遠の安息を待ち望むこと;第五戒は、私たちの父と母とを愛し、敬い、彼らの敬虔なしつけと指示に従うことです。(レビ記19:3)
問11 神は、第六、第七、第八戒において、何を求めておられますか?
第六戒は、私たちが隣人を傷つけたり、嫌悪したり、敵意を表したりせず、忍耐強く、平和を保ち、私たちの敵をも愛そうとすること;第七戒は、私たちが性的不道徳を避け、純潔と誠実をもって生き、既婚であれ独身であれ、不純な行動、視線、言葉、思考、欲望、それらに導くものすべてを避けること;第八戒は、私たちが他人のものを許可無く取ることをせず、私たちが他人に与えることのできる益を惜しまないことです。(ローマ13:9)
問12 神は、第九、第十戒において、何を求めておられますか?
第九戒は、私たちが嘘をつかず、だますことなく、愛をもって真理を語ること;第十戒は、私たちが満ち足りて、誰をもねたまず、神が私や人々に与えてくださったものを拒まないことです。(ヤコブ2:8)
問13 誰か、この神の律法を完全に守ることができる人はいますか?
堕落の後、神の律法を完全に守ることは誰にもできず、思いによって、言葉によって、行いによって、絶えず律法を破っています。(ローマ3:10-12)
問14 神は私たちを神の律法が守れないように創造されたのですか?
いいえ、しかし私たちの最初の祖先であるアダムとエバの不従順によって、すべての被造物が堕落し、私たちはすべて、罪と罪責を持って生まれ、私たちの本質は腐敗し、神の律法を守ることはできなくなりました。(ローマ5:12)
問15 誰も神の律法を守ることができないのであれば、律法の目的は何ですか?
律法の目的は、私たちが神の聖なるご性質とみこころを知り、私たちの心の罪深さの本質と不服従を知り、それによって、私たちには、救い主が必要であるということを知ることです。また律法は、私たちが救い主の御前にふさわしい人生を生きることを教え、勧めます。(ローマ3:20)
問16 罪とは何ですか?
罪とは、神が創造された世界にあって神を退け、無視することです。神をまったく基準にしないで生きることによって、神に反抗して、神の律法の求める人にならず、神の求められることをしないことです。それは私たちの死と、すべての創造物の崩壊をもたらします。(Iヨハネ3:4)
問17 偶像礼拝とは何ですか?
偶像礼拝とは、創造主ではなく造られたものに、私たちの希望と幸福、人生の意義と安定のために信頼を寄せることです。(ローマ1:21, 25)
問18 神は私たちの不服従と偶像礼拝を罰せずにおられますか?
いいえ、すべての罪は神の主権、聖さ、いつくしみ、そして神の正しい律法に反しています。神は正しく私たちの罪に怒られ、神の義なる裁きにより、この世において、そして来たるべき世において罪を罰せられます。(エペソ5:5-6)
問19 罰から逃れ、神の好意を頂く方法はありますか?
あります。神の義を満たす為に、神ご自身が、ただ憐れみによって、私たちを神ご自身と和解させ、贖い主によって罪と罪の刑罰から解放してくださいます。(イザヤ53:10-11)
問20 贖い主とは誰ですか?
唯一の贖い主は、主イエス・キリストです。永遠の神の御子で、人となられた神、罪の刑罰をご自分で受けられた方です。(Iテモテ2:5)
第二部 キリスト、贖い、恵み
問21 私たちが神に立ち返るためにはどのような贖い主が必要ですか?
真の人であるとともに真の神であるお方です。(イザヤ9:6)
問22 なぜ贖い主は真の人でなければならないのですか?
人の性質にあって、私たちの代わりにすべての律法に完全に従い、人の罪の罰を受けて苦しむため、そして私たちの弱さに同情するためです。(ヘブル2:17)
問23 なぜ贖い主は、真の神でなければならないのですか?
その方が真の神であることによって、その方の従順と苦しみは、完全で、効果があるからです。そしてその方は罪に対する神の正しい怒りを受けて、死に打ち勝つ事ができるからです。(使徒2:24)
問24 なぜ贖い主であるキリストが死ななければならなかったのですか?
死が罪の罰であるがゆえに、キリストは私たちを罪の力と刑罰から解放して神に立ち返らせるために、私たちの身代わりとして進んで死んでくださいました。キリストの代理的な贖いの死によって、主だけが私たちを地獄から贖い出し、罪の赦し、義、そして永遠の命を与えてくださいます。(コロサイ1:21–22)
問25 キリストの死が意味しているのは、私たちのすべての罪が赦されることですか?
そうです。なぜなら、キリストの十字架での死が私たちの罪の刑罰を完全に引き受けたので、神は恵み深くキリストの義を私たち自身のものとして与え、私たちの罪をこれ以上覚えられることがないからです。(IIコリント5:21)
問26 キリストの死によって他に何が贖われますか?
キリストの死は、堕落した創造物すべての贖いと刷新の始まりであり、それらは、キリストがご自身の栄光と創造物の益となるためにすべてのものを力強く導くことによってもたらされます。(コロサイ1:19-20)
問27 アダムによってすべての人が失われたように、すべての人がキリストによって救われるのですか?
そうではありません。神によって選ばれて、信仰によってキリストと一つとされた人だけです。それでもなお、神は憐れみ深く、罪の影響を抑え、人の幸福のためになされる文化の働きを可能にすることによって、選びを受けていない人にも一般恩恵を表されます。(ローマ5:17)
問28 信仰によってキリストと一つとされていない人々は、死後どうなるのですか?
彼らは裁きの日に下される、恐ろしくも、正しい有罪の判決を受けます。そして彼らは神の良き臨在から追い出され、地獄に入れられ、正しく、悲しみに満ちた永遠の刑罰を受けます。(ヨハネ3:16–18, 36)
問29 私たちはどのようにして救われることができるのですか?
イエス・キリストと主の十字架上の身代わりによる贖いの死を信じるのみです。私たちが神に従わず、あらゆる悪を行う傾向があったとしても、私たちが悔い改め、キリストを信じるとき、神は、私たち自身の功績によるのではなく、ただ純粋な恵みによって、私たちにキリストの完全な義を与えてくださるからです。(エペソ2:8–9)
問30 イエス・キリストへの信仰とは何ですか?
イエス・キリストへの信仰とは、神がみことばによって示されたすべての真理を受け入れること、キリストを信頼すること、そして救いのために、福音によって私たちに差し出されたキリストのみを受け入れ、主に依り頼むことです。(ガラテヤ5:20)
問31 真の信仰によって私たちは何を信じるのですか?
福音で私たちに教えられたすべてのことです。「使徒信条」は私たちが何を信じているかを次のような言葉で表しています。私たちは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。また、そのひとり子、私たちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、処女マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。主はそこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。私たちは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。(ユダ3)
問32 義認と聖化とはどういう意味ですか?
義認とは私たちが神の御前に義と宣言されることで、私たちのためのキリストの死と復活によって可能となりました。聖化とは私たちの義が徐々に成長していくことで、私たちのうちに働く御霊によって可能となりました。(Iペトロ1:1-2)
問33 キリストへの信仰を持つ者は、自分の行いやそれ以外の何かに救いを求めるべきですか?
いいえ、そうするべきではありません。救いに必要なすべてはキリストにあるからです。良い行いによって救いを求めることは、キリストが唯一の贖い主であり救い主であることを否定することになります。(ガラテヤ2:16)
問34 私たちはただ恵みによって、ただキリストによって贖われているにもかかわらず、今もなお良い行いをして、神のみことばに従わなければならないのですか?
はい、なぜなら、ご自身の血によって私たちを贖ってくださったキリストは、私たちをご自身の御霊によって新しくしてくださるからです。それゆえ、私たちの人生が神への愛と感謝を表すものとなり、御霊の実によって信仰を確信し、敬虔な行動によって他の人がキリストへと導かれるようになるためです。(Iペトロ2:9-12)
問35 私たちが恵みのみ、また信仰のみによって贖われたのであれば、この信仰はどこからくるのですか?
私たちがキリストから受けるすべての贈り物は、信仰も含め聖霊を通して受け取るのです。(テトス3:4-6)
第三部 聖霊、回復、恵みによる成長
問36 聖霊について私たちは何を信じていますか?
聖霊は神であり、父、子と共に永遠であられ、神は信じるすべての者に聖霊を必ずお与えになります。(ヨハネ14:16–17)
問37 聖霊は私たちをどのように助けてくださるのですか?
聖霊は私たちに罪を認めさせ、私たちを慰め、導き、霊的な賜物を与え、神に従う思いを与えてくださいます。そして私たちが祈ることができるよう、また神のみことばを理解できるようにしてくださいます。(エペソ6:17–18)
問38 祈りとは何ですか?
祈りとは、賛美、嘆願、罪の告白、そして感謝によって、私たちの心を神に注ぎ出すことです。(詩篇62:8)
問39 どのような態度で祈れば良いのですか?
愛、忍耐、感謝をもって、神がキリストのゆえに、私たちの祈りを常に聞いてくださるということを信じて、神のみこころに謙虚に従って祈ります。(ピリピ4:6)
問40 私たちは何を祈るべきですか?
イエスご自身が私たちに教えられた祈りを含めて、神のみことば全体がどう祈るべきか導き、祈りの言葉を示し導きます。(エペソ3:14–21)
問41 主の祈りとは何ですか?
天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。(マタイ6:9)
問42 どのように神のみことばを読み、みことばに聴くべきですか?
私たちが信仰をもって受け入れ、心に蓄え、私たちの生活において実践していくことができるために、努力、準備、そして祈りをもって、みことばを読み、みことばに聴くべきです。(IIテモテ3:16–17)
問43 聖礼典とは何ですか?
神により与えられ、キリストにより定められた聖礼典、すなわち洗礼と主の晩餐は、私たちがキリストの死と復活により信仰の共同体として共に結ばれている事の、目に見えるしるしであり証印です。これらを用いることにより、聖霊が福音の約束を、私たちに対してより完全に宣言して、確かなものとしてくれます。(ローマ6:4; ルカ22:19–20)
問44 洗礼とは何ですか?
洗礼とは父、子、聖霊の御名によって水で洗うことです。洗礼は、私たちがキリストにあって子となること、罪から清められること、そして私たちの主と、主の教会への献身を表し、確かなものとします。(マタイ28:19)
問45 水による洗礼は罪そのものを洗い流すものですか?
いいえ、キリストの血と聖霊による刷新のみが私たちを罪からきよめます。(ルカ3:16)
問46 聖餐とは何ですか?
キリストはすべてのクリスチャンに、感謝と共にキリストとその死を覚え、パンを食べ、杯から飲むことを命じられました。聖餐は神の臨在が私たちの只中にあることの祝いであり、神と、そしてお互いとの交わりに私たちを迎え入れ、私たちの魂に糧を与え養います。また、父の御国にてキリストと共に飲み、食べるその日を期待させるものです。(Iコリント11:23–26)
問47 聖餐はキリストの贖いの御業に何か付け加えるのですか?
そうではありません。キリストはただ一度の死で御業を全うされました。聖餐はキリストの贖いの御業を祝う契約の食事であり、キリストを見つめる私たちの信仰を強め、将来の祝宴を前もって味わうものです。しかし、悔い改めない心で参加する者は、その飲み食いが自分に裁きをまねくことになります。(Iペトロ3:18)
問48 教会とは何ですか?
神はご自身のために、永遠の命に選ばれ、信仰によって結ばれた共同体、すなわち、神を愛し、神に従い、神から学び、神を共に礼拝する共同体を選び、守られます。神はこの共同体が、福音を宣べ伝え、共に歩む生活と互いへの愛によって、未だ見ぬキリストの御国を現すために遣わしておられます。(IIテサロニケ2:13)
問49 キリストは今どこにおられますか?
キリストは死んで後、3日目に肉体を持って墓からよみがえり、父の右の座に着き、再び来られて、全世界を裁いて新しくされるまで、御国を統べ治め、私たちのためにとりなしてくださっています。(エペソ1:20–21)
問50 キリストの復活は私たちにとって何を意味しますか?
キリストは、ご自身を信じるすべての者がこの世にあって新しい命へと入れられ、来たる世には永遠の命へと入れられるために、罪と死に勝利され、肉体を持って復活されました。私たちがいつか復活するのと同じように、この世界はいつか回復されます。しかし、キリストを信じない者は永遠の死に定められます。(Iテサロニケ4:13–14)
問51 キリストの昇天は私たちにとってどのような利点がありますか?
キリストは、私たちのために肉をとって地に降りて来たのと同じように、肉を持って私たちのために昇天されました。そして今、父の御前で私たちのために弁護し、私たちのために場所を用意し、私たちに聖霊を送ってくださいます。(ローマ8:34)
問52 私たちにとって、永遠の命にはどのような希望がありますか?
それは私たちに今の堕落した世界がすべてではないことを思い起こさせます。もうすぐ私たちは新しい都市で永遠に神と共に住み、神を喜ぶようになります。その新しい天と新しい地において、私たちは罪から完全に、かつ永遠に解放され、新しくされて回復された世界の中で、新しく復活したからだに生きるようになります。(黙示録21:1–4)