定義
「新しい天と新しい地」(新天新地)は、イエスの再臨と最後の審判の後の被造物の状態を指します。これは「新創造」とも呼ばれ、いずれも、キリストの再臨においてなされるみわざ、被造物の刷新と回復について語っています。
要旨
新天新地は聖書の物語の頂点です。ここでキリストは神の創造の本来の目的を達成し、アダムの呪いを覆し、アブラハムに対する神の約束を成就し、最終的に神の民が神とともに永遠に住まう場所を提供します。組織神学では、新天新地は終末論の教理の下で考察され、永遠のさばき、はじめの創造と新しい創造の関係、旧約と新約の関係、成就のタイミングなどの主題が扱われます。
「天国」対「新天新地」
『「イエスの再臨のときに何が起こるか」は「新天新地」、あるいは「新創造」と呼ばれます。』
多くのクリスチャンが、救われるためにキリストを信じた人が死者の復活のときに入れられる永遠の至福の状態を指して「天国」という言葉を使います。一方「地獄」は、この世でキリストを拒絶した人を待ち受ける、永遠の苦しみの場所です。このような分類は、重要な聖書の真理、すなわち、終わりの日に神が生ける者と死ねる者とをさばかれる(ダニエル12; 黙示録20:11-15)という真理を突いてはいます。けれども、さばきの後、正しい者と正しくない者がどのような状態になるかについては、混乱を残したままです。というのも、多くの場合にクリスチャンが「天国」と「地獄」を、「イエスの再臨、すなわち死者の復活と最後のさばきのときに、何が起こるか」ではなく、「私たちが死んだらどうなるか」に結びつけて考えているからです。聖書でこのふたつは関連していますが、同じではありません。神学用語では、「私たちが死んだらどうなるか」は「中間状態」と呼ばれるのに対し、「イエスの再臨のときに何が起こるか」は「新天新地」、あるいは「新創造」と呼ばれます。
創造の目的とアダムの呪いの覆し
新天新地の希望は創世記の1-3章に根ざしています。このうち最初の2章に、神の被造物に対する目的、特に、神のかたちとしての人間に対する目的が示されています。被造物を大きくふたつに分けると、「入れ物」(第1-3日)と「満たす物」(第4-6日)とに分けることができますが、前者は陸地の創造、後者は人間の創造で頂点に達しました。この秩序だった創造の記録から、すでに神の創造の目的を知ることができます。神は、神のかたちである人間に、ご自分の造られた場所である陸地を満たして欲しかったのです。神はアダムとエバを創造すると、彼らに4つの任務を与えてこの目的を明確にされました。第一の任務は「生めよ。増えよ。地に満ちよ」(創世記1:28)です。この第一の任務に関連して、神は第二の任務、「地を従えよ。支配せよ」も人に告げました(創世記1:28)。2章で、神はさらに「園を耕し守る」と「神に従う」というふたつの任務を追加します(創世記2:15)。ですから、堕落の前にすでに、神は被造世界の最終目標を定めていました。それは、神のかたちである人間が従順に地に満ち、地を従え、地を耕すということです。
事態はあっという間に暗転しました。創世記3章で、アダムとエバは神に従う代わりに反抗し、善悪の知識の木の実を食べました。アダムとエバは地を従える代わりに蛇の侵入を許し、神に代わる言葉を語らせました。その結果、他のふたつの任務、生み増えることと耕すことも、罪の悪い影響を受けることとなりました。女性は苦しんで子を産むようになり、夫とも対立するようになります(出産はもとより、妊娠も難しくなりました、創世記3:16)。一方アダムとその子孫は、茨とあざみと格闘して食を得ることになります(創世記3:18)。エデンの園では緑の草が食物として与えられ、思いのままに食べられたにもかかわらずです(創世記1:30)。彼らの罪により、大地は呪われ(創世記3:17)、死がこの世界に入り(創世記3:19)、アダムとエバは神の御前から追い出されることになりました(創世記3:24)。
言い換えれば、アダムとエバの罪、すなわち、みことばに対する反抗と、神によって造られた世界を支配するという神から与えられた任務に失敗したことの影響は甚大であり、①被造世界全体(「大地は、あなたのゆえにのろわれる」)、②人間とその他の被造物との関係(「大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ」)、③人間同士の関係(「あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる」)、④繁殖及び地を耕す能力、ひいては、⑤人と神の関係(死が入り、園から追放される)に影響しました。罪の影響はすべてに及ぶのです。けれども、神はアダムとエバを希望のない状態で放っておかれることはありませんでした。神は、アダムとエバが神から隠れようとしたにもかかわらず、ふたりのもとへ来て、声をかけられました。神は、彼らを園から追放する前に、動物の皮の衣を着せられました。(これは恐らく動物のいけにえを指し示しているでしょう。)神は、アダムとエバが罪の中で永遠に生きないように、いのちの木のある園から彼らを出されました。そして最も重要なこととして、神は「蛇の頭を打つ」ために「女の子孫」を遣わすことを約束されました。これにより罪の元凶を打ち負かし、アダムとエバが堕落で失ったものをすべて回復することを約束されたのです。
アダムとエバが失ったものを女の子孫によって回復させるという神の約束が、聖書の残りの物語を進めていきます。旧約聖書は、主にアブラハムの家族を通して行われる「子孫探し」の物語です。アブラハムに対する神の約束(創世記12, 15, 17章)は、アダムの呪いを覆し、堕落で失われたものを回復する約束です。神はアブラハムに、神とともに住む場所、彼の子孫から出てくる王たちを通してアブラハムが支配する場所(後に「乳と蜜の流れる地」と描写される場所)、耕すべき良い場所を約束されました。神はまたアブラハムに、彼の子孫が空の星や海辺の砂よりも多くなることを約束され、従うべき律法を授けられました。このように、神のアブラハムとの契約は、呪いのあるすべてのところで、創造の目的を回復し、罪の影響を覆す目的で結ばれたのです。創世記3章で原福音が語られたときも、アブラハムとの契約が結ばれたときも、神の贖いの計画があったのです。
『神のアブラハムとの契約は、呪いのあるすべてのところで、創造の目的を回復し、罪の影響を覆す目的で結ばれたのです。』
旧約聖書の残りの物語は、アブラハムの家族、すなわち神の民であるイスラエルの信仰と失敗の軌跡をたどったものです。旧約聖書全体を通して、神の真実(約束を守ってくださる)に信頼し続けた忠実な「残りの民」がいました。イスラエルの民の出エジプト、カナンの約束の地への入植、ダビデ王の戴冠、ソロモンの神殿、その他諸々の出来事、人、場所は、神の約束の成就です。しかしながら、これらはすべて「影」でしかありませんでした。なぜなら、イスラエルの民が実を結び、増え広がり、土地を守り耕しても(土地の中心には神殿がありました)、そして、士師を通して、次いで王を通して支配しても、彼らは神によってアダムとエバに与えられた第四の任務、「みことばに従うこと」は決して果たすことができなかったからです。それゆえに、イスラエルの民も、アダムとエバと同じく、良く支配することができず、神に敵対する民が約束の地に住み続けました。良く耕すこともできず、規定外の火を幕屋内に持ち込み、偶像を礼拝しました。良く生み増えることもできず、カナンの地にもともと住んでいた偶像礼拝者との婚姻を禁ずる神の教えに従いませんでした。こうしたことが積み重なって、究極的に、イスラエルの民もアダムとエバと同じように土地から追い出されました。旧約聖書の終わりで、イスラエルの民はまだ捕囚の身です。彼らはまだ女の子孫が蛇の頭を打つのを待ち望み、第二のアダムが呪いを覆し、堕落によって失われたものを回復してくれるのを待っています。彼らは新創造を、新しい天と新しい地を、待ち望んでいるのです。(例えば、イザヤ書11章と65章や、ホセア書14:5-8に新創造の描写があります。)
受肉した神の御子イエスが、その初臨において、長く待ち望まれた王国を発足させました。アダムにもイスラエルにもできなかったことを、神ご自身がイエス・キリストの人格と御業を通して成し遂げられたのです。アダムとイスラエルが失敗したところでイエスは従いました。そしてイエスはご自分の民に新しい律法を与えますが、このときにはペンテコステで注がれる聖霊の賜物という、従うことのできる「力」も、ついに与えられました。イエスは地を支配し敵を負かしますが、それは死と復活を通してなされました。イエスはご自分の民を聖霊の力によって世界に遣わすことで、「生めよ、増えよ、地を満たせ」を成し遂げます。「土地を耕し守る」は、復活を通して、また、重要なことですが予見的に、奇跡を通してなされます。この最後の点は、新天新地を理解する上で特に大切です。というのも、イエスは永遠の御国、すなわち新創造がどのようなものであるかのしるしを、初臨のときに私たちに与えられたからです。そこでははじめの創造が回復され、からだが癒され、そして最も重要なことに、死者がよみがえると考えられるのです。
イエスは初臨で始められたことを、再臨で完成されます。今や、イエスは死者の中からよみがえられただけでなく、最後の審判のときにすべての死者をよみがえらせ、ご自分を信じた者たちを、ご自分とともに新天新地に住まわせます。ついに、成し遂げられたイエスのみわざを通して、神の民は神の国に神とともに永遠に住むことができるのです。イエスはご自分の民のために「土地」を買われました。その土地とは新創造のすべてです。イエスの「生めよ、増えよ」により、新天新地は民で満たされます(黙示録21:9以降に書かれている新しいエルサレムの描写を参照してください)。そして民はこの回復された創造、イエスが罪の影響をすべて取り除かれた場所を、イエスとともに支配します(黙示録21:4)。ここでは良い実がなり、永遠に生ける水が流れます(黙示録21:1-6)。ですから新天新地は、創世記3章15節で始められた神の救いのみわざの物語の頂点です。救いのみわざはイスラエルの歴史で予表され、キリストの初臨で動き出し、完成されました。
終末
新天新地は、教理的には終末論の下に位置づけられます。新天新地に関連する組織神学の主題は、永遠のさばき、はじめの創造と新しい創造の関係、アブラハム契約の成就です。さばきに関して言えば、新天新地は小羊のいのちの書に名前が書き記されている人々の永遠の住まいです(黙示録20:11-15)。この人たちは花嫁とも呼ばれ、新しいエルサレムの住人です(黙示録21:1-2)。しかしながら、新天新地の記述(黙示録21:1-2)と最後の審判の場面(黙示録20:7-15)には、小羊のいのちの書に名が記されていない人の永遠の住まいである「火と硫黄の燃える池」(黙示録21:8)についても書かれています。ですから教理的に言えば、新天新地の話はさばきと救いにおけるキリストの最後の行為に関連しており、それゆえにキリスト論と救済論の両方にも関連があるのです。
『特にキリストの死と復活が罪の源と影響を取り除くことによって、人間だけでなく神の造られた被造世界すべてに回復がもたらされる』
さばきに関するもうひとつの教理的な問題は、「火と硫黄の燃える池」と新天新地がどのように関係しているかということです。一方から他方は見えないのでしょうか。ある程度離れた場所にあるのでしょうか。言い換えれば、空間、場所、物質といった被造物的な現実は、「火と硫黄の燃える池」と「新天新地」との関係において、また、その住民との関係において、どのように作用するのでしょうか。
最後に、新創造と最後の審判に関して「至福直観」の問題があります。信仰者の最終的な状態とはどのようなものなのでしょうか。その焦点は、終末に関するN・T・ライトの記述のように、物質世界を楽しみながら神に栄光を帰すことなのでしょうか。それとも、歴史的に「至福直観」と呼ばれてきた、超越される神を永遠に仰ぎ見ることのできる幸いな状態なのでしょうか。このふたつの考えは対立するものとして提示されてきましたが、互いに排他的な選択肢ではありません。聖書は、新創造は同時に物理的であり(物質があり、からだがあり、具体的なもの)、かつ霊的である(神の臨在を体験するという霊的なもの)と描写しています。
新天新地に関するもうひとつの教理的な問題は、創造と終末の関係です。終末論の教理において、これは①新しい創造は古い創造の更新なのか、それとも古い創造が完全に破壊された後になされる、まったく新しい創造なのか、そして②新創造はキリストのみわざ、特にキリストの復活とどのように関係するのか、という問題です。①に関して、近年、現被造世界の完全な破壊を主張する人もいますが(例えば、ジョン・マッカーサーのペテロの手紙第二3章の注解など)、歴史的なキリスト教の立場は、新しい創造は古い創造の更新であり、キリストのみわざ、特にキリストの死と復活が罪の源と影響を取り除くことによって、人間だけでなく神の造られた被造世界すべてに回復がもたらされる、とするものです。この立場は聖書の記述とも一致しています。例えば、被造物が良いものとして肯定されている点(創世記1:3, 10, 12, 18, 21, 25, 31)、被造物に対する神の配慮、堕落の影響を受けたすべてのものを対象とする贖いの範囲、新創造において回復されるのは現被造世界の秩序であるとする預言的希望(例: イザヤ65:17以降など)、よみがえりのからだがもつ、今の堕落したからだとの継続性(Iコリント15)、そして、被造物のすべてが罪の呪いから回復され解放されることを待ち望んでいる点(例: ローマ8:22-23)などです。キリストのみわざについて言えば、イエスの死からの復活は、新創造の初穂であり、信仰者が永遠のいのちによみがえらされることと神の造られた世界が新しくされることを指し示していると言えます。
最後に、新天新地の問題は、旧約と新約の関係に関連しており、イスラエルに対してなされた約束がいつ成就するのか、また、新しい創造は古い創造を更新するものなのか、それとも完全に取って代わるものなのかの両方が問題となります。いずれの問題も本質的には、旧約と新約の関係についてよりディスペンセーション主義的な理解をするか、より契約神学的な理解をするかに帰着します。
参考文献
I do not necessarily advocate for or agree with everything said in every resource listed below. Nevertheless, this list will give the reader starting points for further reading on this doctrine.
Blogs
Books
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