あなたは選ばれています(忘れられてはいません)

カイル・ジョンストン(著者) 、ブラッシュ木綿子(翻訳) - 2025年 07月 29日  - 

苦しみのときに経験する孤独

苦しみは私たちを孤立させます。苦しいときには孤独を感じやすいのです。苦しみには孤独が付きもののようです。牧師ティム・ケラーはフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの洞察に基づいて、苦しみのしるしのひとつに孤独があると書いています。「苦しみのときにはもっとも親しい友人との間にも壁が立ちはだかります。苦しんでいるあなたは、あなたが今通らされていることを体験したことのない人との間に、突如隔たりを感じるからです。それまで共通の体験をしていると感じてきた人たちが、もはやそうではなくなってしまったのです」1

『苦しみの只中にあってさえ、あなたは選ばれ覚えられているのです。』

苦しいとき、私たちは孤独を感じます。家族や友人があなたとどう関わればよいのかわからなくなっていることが、より孤独を強めている場合もあるかもしれません。このように苦しみに対して社会が器用に対処できないと、苦しんでいる人がすでに感じている痛みを助長することになります。この上さらに降りかかる困難は、神に忘れられたと感じてしまうことです。そうすると苦しみによって感じる孤独がほとんど耐えがたくなります。嵐の中にいるときには、痛みは感じても神の臨在を感じることができません。苦しみや孤独は手に取るようにリアルなのに、神の愛は実体の無いものに感じられます。苦しいとき、私たちは神にも人にも忘れられたと感じやすいのです。

神の民は何千年にも渡って苦しみを経験してきました。私は今ペテロの手紙第一を学んでいるのですが、この手紙の中で苦しみがいかに重要なテーマであるかに驚いています。新約聖書の中で使われる「苦しむ」という動詞の約3分の1がペテロの手紙第一にあるのです。使徒ペテロは苦しみの最中にあるクリスチャンに向けてこの手紙を書いています。痛み悲しみをよく知っている人々に向けて、この大昔の偉大な牧師はどのように語りかけたのでしょうか。

父なる神に選ばれた人たち

手紙の冒頭に注目してください。「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、父なる神の予知のままに……選ばれた人たちへ」とあります。

傷ついたクリスチャンに、ペテロがまず言ったことは何でしたか。アドバイスでしたか。いいえ、ペテロはまず、自分が何者であるかを彼らに思い起こさせましたね。より正確には、神との関係において、自分が何者であるかを思い起こさせています。すなわち、彼らは選ばれた人たちなのであって、忘れられているわけではないという点です。神は彼らを選ばれました。彼らは天の父なる神の予知によって選ばれた人たちなのです。

神に選ばれた民という概念は、元々は旧約聖書の神の民について言われたことであり、民族的な色彩が濃いものでした。しかし今、ペテロはそれをキリストに信仰を置くすべての人に対して用いているのです。これは本当に驚くべきことであり、よく考えるに値することです。私たちは選ばれるに値することを何もしなかったのに(実際、その正反対でした)、神に選ばれているのです。私たちには神を父として知る特権があるのです。私たちはいつでも、苦しみのときにも、父なる神に近づくことができます。苦しみのとき、私たちは父なる神に忘れられてはいないのです。

『イエスを呼び求めてください。あなたは忘れられたのではなく、選ばれているのですから。』

私はカウンセラーとして働く中で、私たちが自分をどう見るかの大切さを痛感してきました。特に、困難の中での自己認識は大事です。痛みや苦しみの中に沈んでいると、自分は重要ではない、失敗作だ、神に捨てられ、忘れ去られた人間だと思いがちです。私たちが自分をどう見るかは、置かれた状況によって左右されることが多く、痛み苦しみの中では特にそうです。しかしながら、神がご覧になるように自分自身を見ること、これが私たち全員が取り組むべき課題です。神は私たちを選ばれた人たちと見ています。忘れられたわけでも、捨てられたわけでもありません。もしあなたがキリストに属しているなら、イエスに信仰を置いているなら、父なる神はあなたを特別な存在として選ばれました。この栄光に満ちた真理はあなたのものです。神はあなたをあらかじめ知っていましたし、神は今、あなたを知っています。神はあなたとともにいます。神はあなたを覚えています。他の人から忘れられることがあっても、神はあなたを知っています。あなたは神のものです。あなたの経験する苦しみが孤独を生み出し、捨てられた、忘れられたと感じたとしても、神はあなたを知っているし、覚えているのです。あなたは神の選びの子です。嵐の中にいるあなたと、神はともにいてくださるのです。この真理の中に憩ってください。自分が何者であるかを思い起こし、神の臨在を覚え、神に愛されている真理を握りしめて苦しいときの孤独と戦ってください。神があなたを選んだのであり、あなたは神に覚えられています。あなたは捨てられても忘れられてもいません。苦しみの只中にあってさえ、あなたは選ばれ覚えられているのです。

救い主も苦しまれたという驚きと慰め

最後に、キリスト教信仰の最も驚くべき、そして最も慰めとなる真理のひとつは、神ご自身が苦しみを知っておられるということです。遠くから霊的な真理を教えるだけでなく、イエス・キリストにあって神は人となり、苦しみの人生を生きられました。私たちが体験するのと同じ悩み苦しみを通られたので、イエスはあなたに共感することができます。イエスはこの世の複雑な嘆き悲しみを直接体験されました。それだけでなく、イエスは近くにおられます。イエスは頼りになる友として、従うべき主として、私たちを休ませてくれる救い主として、苦しむ私たちとともにおられるのです。

有名な賛美歌の歌詞にある通りです。

世界の基が据えられる前から神であられた御子を王とせよ
御子が歩まれた道を歩む者よ、人の子を王とせよ
御子は人の胸を痛めるあらゆる悲しみを知っておられ
そのすべてをご自分のものとして負い、ご自分にある者を休ませてくださる

イエスは私たちの罪、私たちの悲しみを負われました。それらすべてをご自分のものとし、赦し、いのち、避け所、安息を、私たちがイエスのうちに見つけることができるようにしてくださいました。嵐の中でイエスはあなたとともにおられます。イエスを呼び求めてください。あなたは忘れられたのではなく、選ばれているのですから。

脚注

[1] Timothy Keller, Walking with God through Pain and Suffering, (Dutton, 2013), 213.


This article has been translated and used with permission from the Biblical Counseling Coalition. The original can be read here, Chosen (Not Forgotten).
この記事は「Biblical Counseling Coalition」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Chosen (Not Forgotten)