新型コロナウイルスが不安症やうつ病に与えた影響
新型コロナウイルスの大流行が、不安やうつに悩む人々へのカウンセリングに与えた影響はどのようなものだったのでしょうか。流行当初は、影響はとても直接的でした。多くの人がウイルスへの恐怖、個人的、社会的な混乱から来る不安、社会的な距離を保つことや隔離によって経験する孤独、大切な活動や機会を失った悲しみや不満といったものと格闘しなければなりませんでした。しかし時間の経過とともに、コロナの影響は段々と間接的になり、多くの場合、すでにある不安やうつが悪化する形となりました。カウンセリングの現場では、キリストの慰めの必要性が痛感されました。
この記事の目的はふたつあります。ひとつは不安症とうつ病がいかに複雑なものであるかを思い起こして、賢明かつ適切なケアを提供できるようにすることです。もうひとつは、不安やうつと闘っている人々に対して、特にこの不確実で混乱した時代において、キリストのゆえに与えられる具体的な慰めを探ることです。
不安症やうつの複雑性
人はなぜ不安になったりうつになったりするのでしょうか。問題はとても複雑ですが、賢明なカウンセリングを提供するために役立つふたつの視点を紹介しましょう。
- デービッド・ポーリソンによれば人間は:
- 肉体を持っています:したがって、私たちの身体の具合によって不安やうつになる可能性もあります。カウンセリングを受ける人には、健康診断を受けることを勧めています。
- 社会に身を置いています:家族や社会、文化が問題に影響していることが多いので、カウンセリングを受ける人のこれまでの人生をよく知るようにします。
- 霊的な戦いに見舞われています:私たちには、身体や魂に測り知れない影響を与える敵がいます。そこで私たちは、カウンセリングを受ける人に霊的な戦いの現実を警告し、神の武具を身につけ、祈り、他の人たちからサポートを受けるように促します。
- 主権者により配置されています:こうした影響にまさって、私たちとともにいてくださるのが私たちの父なる神です。神は私たちに影響を与えるすべてのものを愛をもって支配し、常に私たちの益となるように働いてくださっています。ですから、カウンセリングを受ける人には、不安やうつとの戦いにおいても、主に信頼するよう励まします。1
- エド・ウェルチによれば:
不安やうつは、多くの場合、上に挙げたような外的要因と内的要因、つまり、外的要因を私たちがどのように解釈して反応するか、この双方が複雑に絡まって生じます。外的要因に対する私たちの反応は、欲望や恐れ、信念、心の忠誠を何に向けているかといったものにより動機づけられるので、心や生き方の問題にも注意を払う必要があります。2
不安やうつとの戦いにおいて、イエス・キリストのゆえに与えられる慰め
下に、不安やうつと戦う人々にイエスが提供する5つの慰めを記します。それぞれの項目で、聖書箇所とともに簡単な引用や説明も加えます。
- イエスは人となった神として、完全な理解とあわれみを提供する。
- マルコの福音書14章32-4節:さて、彼らはゲツセマネという場所に来た。イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」
- 「私もまた個人的に証言します。大きな痛みを経験しているときに、主イエスがどんな痛みにも共感してくださる方だと知ることは、この上ない慰めです。私たちはひとりではありません。人の子のような方が、私たちと共に炉の中を歩んでくださるのです」3
- イエスは、不安とうつの暗い谷で慰めの臨在を提供する。
- 詩篇23篇4節:たとえ 死の陰の谷を歩むとしても / 私はわざわいを恐れません。/ あなたが ともにおられますから。/ あなたのむちとあなたの杖 / それが私の慰めです。
- 「イエスは、私たちのすべての苦悩における、卓越した真の伴侶です。現実的な希望はイエスで満ちています。うつに苦しむ人々には、精神的に弱っている人を擁護する、味方であり英雄であり仲間である、贖い主がいるのです」4
- イエスは、私たちが「アブラハムへの祝福」を受けられるように、(不安やうつも含む)律法の呪いから、贖いを提供する。
- ガラテヤ人への手紙3章13-14節:キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。
- 申命記28章65-66節にある律法の呪いには、不安やうつも含まれています。これは、不安やうつはすべてその人の罪のせいだということではなく、罪一般の結果により、この世界には不安やうつが存在しているという意味です。ガラテヤ人への手紙3章13-14節には、私たちがアブラハムへの祝福を受けることができるように、イエスが私たちの罪ののろいを引き受けてくださったと書いてあります。アブラハムへの祝福とは、完全に神により義とされ受け入れられることと、聖霊の賜物です。こうした祝福は、私たちが平和、聖さ、愛する力において徐々に成長していくために働く、素晴らしい福音の賜物です。
- イエスは、私たちの信仰がなくなることなく、信仰者全員が父の家に無事にたどり着けるよう、絶え間ない執り成しを提供する。
- ヘブル人への手紙7章25節:したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。(ルカ22:31-34とローマ8:34も参照のこと。)
- 「確かに、天で私たちとともに、私たちのためにいてくださるイエスを仰ぎ見るとき、悲惨な状況にあっても安らぎが与えられることがあります。キリストにあって、私たちは今現在の苦しみは軽く一時的なものだと悟ることができるのです。私たちを守り、しっかりと握りしめ、決して見捨てることのないイエスの存在は、計り知れない慰めを与えてくれます」5
- イエスは、すべての痛みと悲しみからの究極の解放と、永遠の喜びと楽しみを約束してくださる。
- 黙示録21章3-6節:私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。」
- 激しい不安やうつに襲われると絶望的に感じられますが、この壮大な聖書箇所は、苦しむ人、罪ある人に、彼らの栄光に輝く未来は確かなものであると教えてくれます。私たちは、あらゆる苦しみの原因がまるで悪い夢だったかのように消え去った新天新地で、キリストにある神の臨在を永遠に楽しむことができるのです。呪いも痛みも死もすべて、永遠のいのちに取って代わられます。回復された世界には、いのちを与える聖霊の水によって常にみずみずしく保たれた安心安全の故郷が私たちに確約されているのです。これこそが真の希望です!
不安やうつを経験している人に対して私たちが提供することのできる最善の助けは、より効果的なキリスト教的認知行動療法ではなく、キリストご自身と、キリストが現在、そして究極的には天において私たちに提供してくださるすべてのものです。すなわち、キリストのあわれみ深い理解、私たちの慰めとなる臨在、呪いを負ったキリストの死、絶え間ない執り成し、そして、キリストとともに完全な状態で永遠に喜び楽しむことができる、未来の約束です。
振り返りのための質問
- あなたがカウンセリングをしている相談者の不安やうつには、どのような個人的、社会的、霊的な要因が関係していると思いますか。
- イエスの提供する5つの慰めのうち、あなたにとって最も励みになるものはどれですか。
- 不安やうつの中にあって、私たちのために常に執り成してくださるイエスの存在は、どのように私たちを安定させ、希望を与えてくれるでしょうか。
脚注
[1] David Powlison, Psychiatric Disorders Curriculum, (Glenside, PA: Christian Counseling and Educational Foundation, 2015), 7. Available at https://www.ccef.org/curriculum/psychiatric-disorders-curriculum/.
[2] Edward Welch, Depression: A Stubborn Darkness, (Winston-Salem, NC: Punch Press, 2004), 123-132.
[3] Charles Spurgeon quoted in Zack Eswine, Spurgeon’s Sorrows, (Fearn, Ross-shire, Christian Focus Publications, 2014), 84.
[4] Ibid., 85.
[5] Ibid., 85-86.