うめきの中にある希望:苦しむ人とともに歩むには

ティム・セントジョン(著者) 、ブラッシュ木綿子(翻訳) - 2025年 04月 22日  - 

人生が辛いと、逃げ出したくなります。エネルギーも、時間も、人間関係も奪っていくような仕事は苦痛です。職場でのストレスと長時間労働を考えると病欠を取ってベッドにいたくなります。しつこく顔をもたげてくる罪深い欲望も苦しいです。自分に対しても、神に対しても、訳が分からなくなったりもどかしくなったりします。

以前神は私に、大変なうめきの中にあるふたりの男性とともに歩むようにされました。ひとりは週70時間から80時間の労働と難しい顧客という重圧の下でうめいていました。もうひとりは、同性に惹かれる思いが何とかして消えてくれないものかとうめいていました。私は、このふたりの兄弟にどうやって希望を与えればよいのかと悩みました。どうすれば、彼らの現実、彼らの痛みの深刻さを無視することなく、福音の真理を伝えることができるでしょうか。

『苦しむ人が私たちと一緒にキリストにより頼み、救い主であられるキリストがいかに偉大な方であるかをより深く理解するときに、希望が大きくなるのです。』

神はローマ人への手紙8章18-25節を通して、人生で感じる痛みは希望の出発点になることを教えてくれました。この箇所でパウロは、真の希望を「神とともに贖いの完成を楽しむ日を待ち望んでうめく望み」と定義しています(23節)。この希望は人生と正面から向き合い、私たちがこの世界と自分自身の内にある堕落に目を留めるときに大きくなっていく希望です。

パウロはこの希望を、「産みの苦しみ」という現実的な比喩を使って表しています。妊婦が赤ん坊を産むこの表現は、今現在の大きな痛みと、未来の比べられない栄光というふたつの現実を結びつけます。贖いを求めるうめきは、私たちが経験している痛みを、見えるものではなく、見えないものを待ち望む希望と結びつけるのです。

ですから、傷つき、苦しんでいる人の話に耳を傾けるときの私の目標は、単に彼らの経験を受け入れ、彼らの痛みは正当だと認めるだけではありません。私は福音をもって彼らの物語に入り込み、彼らの痛みの経験を用いて、やがて現される栄光を待ち望む彼らの希望が成長するようにしたいのです。

そのためにはどうすればよいでしょうか。


以下に、真の希望を育むための実践的なステップをいくつか紹介します。

1.呪いの下にある人生は苦しいことを認める

週80時間の労働が家族との時間の前に立ちはだかるのを見て、「こうあるべきではない」と言うのは正しいです。同性に惹かれる思いに対して「何かおかしい」と言うのも同じです。

J.R.R.トールキンが「私たちはみなエデンに恋焦がれます。そして、しょっちゅうエデンを垣間見ているのです。私たちの人間性がその最善にあるとき、最も堕落していないとき、もっとも優しく人間らしくあるとき、そのようなときに、私たちは捕囚の感覚を覚えるのです」と書いた通りです。1

『神はローマ人への手紙8章18-25節を通して、人生で感じる痛みは希望の出発点になることを教えてくれました。』

私たちのところへ相談しに来る人たちに対して、この「うめきの中にある希望」を理解してもらうひとつの方法は、こうしたうめきを正直な希望の歌へと変えている詩篇を示すことです。例えば、詩篇31篇、55篇、142篇は、この世の苦しみが実は私たちを神の御許へ近づけるために用いられることを示しています。このようにして私たちは、彼らの痛みがとても大切な真理、すなわち、彼らがまだ帰るべき故郷にたどり着いていない真理を教えてくれることを分かち合い、彼らの希望をこの世からキリストの上に移すことができるのです。

2.教会が健全であるために、うめきが必要であることを説明する

教会の中では、時期や程度は違っても、皆が苦しみます。ある会議で牧師が講演者に「牧師に苦しみが無い場合、どうすればよいのでしょう」と尋ねたのを覚えています。講演者の答えは的を得ていました。「ただ待つのです。苦しみは必ず来ますから」。私はこの答えに、こう付け加えたいと思います。「待っている間、周りを見てください。あなたの教会では、常に誰かが苦しんでいるはずですから」

私たちの心が常にうめいていることが不可欠です。贖いを求めてうめいている状態が、私たちの姿勢であるべきです。そしてこの姿勢は、傷ついている人とともに歩むことによって身に着くでしょう。うめくのをやめるなら、私たちは現実を見失い、この世で唯一の希望を見失ってしまうからです。

私たちのうめきと教会の健全性はどのように関係しているのでしょうか。伝道者の書7章2節に「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ」と書いてあります。苦しんでいるとき、私たちはよく「こんな苦しみは教会に不必要な重荷だ」と感じます。けれども、一人ひとりの重荷や苦しみが他の人と分かち合われるとき、希望が大きくなります。苦しむ人が私たちと一緒にキリストにより頼み、救い主であられるキリストがいかに偉大な方であるかをより深く理解するときに、希望が大きくなるのです。ですから、教会がキリストにより頼み、永遠を見据えて生きるためには、傷ついている彼らのうめきが不可欠であることを本人に伝えることによって、希望を与えることができるのです。

『詩篇31篇、55篇、142篇は、この世の苦しみが実は私たちを神の御許へ近づけるために用いられることを示しています。』

3.キリストをうめきの対象とする

私たちの悲しみや苦しみは、前を見て、贖いの完成を待ち望む助けとなる一方で、後ろを見て、「悲しみの人」であったキリストが、私たちのために経験しなければならなかったことを振り返る助けにもなります。私たちが呪いの下にある人生で耐え忍ぶとき、キリストは私たちに贖いの望みを与えるために呪いとなられたことを思い出さなければいけません(ガラテヤ3:13)。私たちからカウンセリングを受けている人に、このような希望を与えるために支払われた代価を考えるように促すことができるなら、相談者はもっと感謝をもって耐えることができるでしょう。彼らが呪いの下にあるそれぞれの「産みの苦しみ」を見て、キリストが私たちを救い、神の家族に養子として迎え入れるために何を忍ばれたかを思い起こすことができるように助けましょう。

あなたはどうでしょうか

うめきの中にある希望は、神の贖いの物語の中で自分がどこにいるかを知る助けとなります。今の人生は、中間で待っている人生です。私たちは故郷を待ち望んでいます。この正直な希望をもっていれば、私たちはともに前進し、ともに生き、互いの苦しみに参与し、そして何よりも、この希望をもたらすために救い主が負われた痛みを思い出すことができます。このことをともに考え続ける中で、ともに歩む人々のうめきを理解するために、あなたはどのような質問をしますか。苦しんでいる人が痛みの中でキリストに向かって歩めるように、あなたならどのように助けるでしょうか。

脚注

[1] J.R.R. Tolkien, The Letters of J.R.R. Tolkien: A Selection, ed. Humphrey Carpenter and Christopher Tolkien (Boston: Houghton Mifflin Co., 2000), 110.


This article has been translated and used with permission from the Biblical Counseling Coalition. The original can be read here, A Hope that Groans.
この記事は「Biblical Counseling Coalition」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:A Hope that Groans