結婚相手の選び方

マット・ニューカーク(著者) 、富田美代子(編集) - 2025年 10月 16日  - 

はじめに

私と妻は「初対面で結婚」というテレビ番組が好きです。その番組では、独身の人同士が一般的な交際を経ずに、結婚の専門家の判断によって結婚します。結婚の専門家は参加者全員と面接し、それぞれの特徴に基づいて、「この二人は良い夫婦になる」と判断した人同士をマッチングします。そして二人は結婚しますが、結婚式当日まで、お互いに会うことはできません。つまり初対面でいきなり結婚することになります。そして番組は、結婚した二人が夫婦としてうまくやっていけるかどうかを観察します。

その番組の参加者たちは皆、結婚相手探しに疲れ果て、自分で相手を見つけることを諦めて番組に応募してきています。そして、ほとんどの参加者たちは、「今まで何回もお付き合いに失敗して来たので、どのようにして結婚相手を選べばいいのかぜんぜんわかりません」と言います。だから、自分の判断ではなく、他の人の判断に頼るのです。

『良い結婚関係を続けるために、妻も夫も神との強い関係を持たなければなりません。』

それがこの記事のテーマです。「どのようにして結婚相手を選べばいいのでしょうか。」番組の参加者たちとは違って、クリスチャンの私たちにはその問いに答えるための客観的な基準があります。選ぶことの難しさはまだあるかもしれませんが、選ぶ基準は明確です。

結婚の目的

どのように結婚相手を選ぶべきかを答える前に、結婚の目的を理解する必要があります。「初対面で結婚」のほとんどの参加者たちは、結婚の目的が自分を幸せにすることだと思うそうです。社会にもそのように考える人が多いですが、それは聖書的な結婚の目的ではありません。

聖書が教える結婚の基本的な目的は、キリストと教会との関係を表すことです。パウロはエペソ人への手紙5章32節で、妻たちと夫たちの責任を説明してから、結婚について「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです」と言います。ですから、子どもを産むとか社会を築くとかという他の目的があるとしても 、結婚の基本的な目的は、神学的です。イエスと教会の関係を表すことなのです。どのようにして結婚相手を選ぶべきかという問いに答えるには、この結婚の目的を覚えておく必要があります。この記事の残りで、結婚に関する聖書的な原則に基づいて、どのようにして結婚相手を選ぶべきかをまとめてみたいと思います。どのような資質を結婚相手に求めるべきでしょうか?

1. 神への誠実さ

第一の資質は、神への誠実さです。結婚の目的を考慮すると、それは当然のことのように思えるかもしれませんが、エペソ人への手紙5章で、その考え方は明確に強調されています。

  • 22節:「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」
  • 25節:「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」

どちらの場合も、パウロによれば、配偶者の責任の基盤は神との関係です。聖書的な結婚関係は、基本的なレベルで神との関係に基づくものです。その理由で、コリント人への手紙第二6章14節で、パウロは「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません」と言います。だから、クリスチャンが結婚相手を選ぶときに最初に問うべき資質は、結婚相手候補が神とどのような関係を持っているかということです。

『結婚の基盤が神への誠実さとすると、結婚の最優先事項は配偶者への誠実さです。』

良い結婚をするためには、相手がただ「神は存在する」と信じているだけでは不十分です。ヤコブが言ったように、「悪霊どもも信じて、身震いしています」(ヤコブ2章19節)。そうではなく、良い結婚関係を続けるために、妻も夫も神との強い関係を持たなければなりません。いつかは、どんな人でも、相手を失望させるでしょう。もし結婚相手に仕え、愛し、赦す動機が、結婚相手そのものにあるなら、その動機が弱くなるときが来るはずです。そのような場合、その結婚関係は不安定になります。

しかし、神と強い関係を持つ人が知っているように、神は私たちを決して失望させません。だから、もし結婚相手に仕え、愛し、赦す動機が、神のみこころ、神の栄光であるなら、その動機は決して変わりません。そのような場合、その結婚関係は安定します。

だから、ある人が良い結婚相手になるかどうか判断するには、その人と神との関係をよく見る必要があります。

  • 神のみことばをよく知っているかどうか。
  • 教会で喜んで奉仕しているかどうか。
  • 罪を告白して、悔い改めているかどうか。
  • その人の決断と行動は聖書に導かれているかどうか。

これらが当てはまらなければ、結婚生活の中で聖書によってその人の決断と行動が導かれる可能性は低いです。逆に、もしある人の神との関係が強ければ、良い結婚相手になる可能性が高くなります。結婚相手に求めるべき第一の資質は神への誠実さです。

2. 他の人への誠実さ

求めるべき第二の資質は、他の人への誠実さです。結婚は結ばれた関係です。創世記2章24節で、モーセは、「男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」と書いています。また、その結ばれた関係は生涯続くものです。コリント人への手紙第一7章39節によれば、「妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。」

『結婚は二人の罪人の結ばれた関係なので、難しいときも、葛藤があるときもあります。そのようなときに、相手がどれぐらい美しいかハンサムかは意味がありません。』

イエスによれば、私たち人間はその結ばれた関係を破ってはいけません。創世記2章24節を引用したあと、マタイの福音書19章6節でイエスは「ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません」と言います。淫らな行いと相手が一方的に去っていった場合だけは離婚できる例外として認められているようですが(マタイ5:32; 第一コリント7:15)、ポイントは、結婚の中心的な特徴が配偶者への誠実さであることです。

結婚の基盤が神への誠実さとすると、結婚の最優先事項は配偶者への誠実さです。だから、ある人が良い結婚相手になるかどうかは、他の人に誠実かどうかを見ることでわかります。その人が自分の家族に誠実かどうか。教会に誠実かどうか。他の人間関係において誠実かどうか。

あるいは、人間関係が難しくなったら逃げる傾向があるのか。他の人をなかなか赦さないのか。恨みを抱く傾向があるのか。自己中心的なのか。もしある人が他の人との人間関係に誠実であれば、結婚生活でも誠実である可能性が高いです。そうでなければ、良い結婚相手にならないかもしれません。

クリスチャンの結婚を家にたとえるなら、神への誠実さは土台です。すべてはその上に建設されています。その土台が強くなければ、家は不安定です。そして夫婦の互いへの誠実さが家の骨組みです。それは家の一番基本的な要素です。骨組みがなければ、家はできません。

多くの人は、結婚相手を探す際に、相手の見た目の魅力を優先します。もし外見が魅力的だけれど性格の大事な資質が欠如した人がいた場合、後者を無視する傾向がある人が多いです。しかし、それはまるで家の壁にたくさん大きな穴があっても、その家の色が好きなので買いたいと言っているようなものです。私たちはみなそのような家を買わないように、そのような表面的な結婚を望まないようにしましょう。

結婚は二人の罪人の結ばれた関係なので、難しいときも、葛藤があるときもあります。そのようなときに、相手がどれぐらい美しいかハンサムかは意味がありません。むしろ、そのようなときに、配偶者はどれぐらい神との関係が強いか、どれぐらいあなたへの誠実さがあるかは、測ることができないほど大事です。それが求めるべき第二の資質です。

3. 霊的にリードする夫

第三に、女性は霊的にリードする夫を求めるべきです。コリント人への手紙第一11章3節にはこうあります。「あなたがたに次のことを知ってほしいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」また、エペソ人への手紙5章23節にはこうあります。「キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。」 

『結婚生活の中で葛藤や問題があるとき、それに対する私の反応が妻の私への反応に依存したら、私は霊的にリードしていないことになります。それはキリストを表さない霊的な受動です。』

「かしら(頭)」について思い浮かべると、頭が体をコントロールするものというイメージを持つ人もいると思います。頭は考えて、体の動きをコントロールします。しかし、教会のかしらとしてのイエスは、すべての決定を行い、教会には何も決定させないというような「コントロール」をするわけではありません。

そうではなく、頭は体の益のために決定を行うという考え方もあります。頭は体の安全、体の健康、体の成長のために良い決定をする役割があります。そして、エペソ人への手紙5章23節において、「かしら」と「からだ」と並んでいる唯一のことばは「救い主」です。だから、この文脈で、「かしら」は体をコントロールするよりも、体に仕えるというイメージがあります。

そして、23節と同じ文脈で、25節で、パウロは夫たちにその通りに命令します。「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい」。女性はそのような「かしら」を求めるべきです。そのように霊的にリードする夫を求めるべきです。

この教えを男性の私たちに適用したいと思います。もし良い夫になりたいなら、神との関係を優先し、神と強い関係が持てるよう努力しましょう。男性の私たちの傾向は受け身になることです。私たちの傾向は他の人の反応に基づいて、他の人の意見に基づいて行動することです。しかし、霊的にリードするためには、受け身であってはいけません。

結婚生活の中で葛藤や問題があるとき、それに対する私の反応が妻の私への反応に依存したら、私は霊的にリードしていないことになります。それはキリストを表さない霊的な受動です。

しかし、良いリーダーになるためには、他の人の反応ではなく、神の教えに基づいて行動する必要があります。だから、夫としての私たちは、やりたくないときにも、妻を聖書的にリードする召しがあります。葛藤の中で妻が怒っても、妻の霊的な安全と健康のために仕える責任があります。

それは難しいことです!それができるようになるには、妻をリードする動機は妻の反応ではなく神との関係でなければなりません。神の教えを動機にするのです。もし受け身の考え方があれば、そのように霊的にリードできません。男性の私たちはそのような霊的なリーダーになろうとし、女性はそのようにリードする夫を求めてください。

『犠牲的精神は自分のことを低くすることですが、誉れは相手のことを高くすることです。女性はそのような精神を持つ夫を探してください。』

4. 犠牲的精神があり、妻を尊ぶ夫

第四は、第三に関連するものですが、女性は、犠牲的精神があり、妻を尊ぶ夫を求めるべきです。さきほど述べたように、エペソ人への手紙5章25節にはこのようにあります。「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」イエスが教会を愛する方法は、ご自分を犠牲にすることでした。イエスはご自分のことではなく、教会を優先してくださいました。私たちの永遠のいのちのために、私たちの現在の益のために、イエスはご自分を献げられました。

だから、女性のみなさん、ある男性が良い結婚相手になるかどうかは、そのような犠牲的精神があるかどうかによります。その人は今、自分のことよりも他の人のことを優先するのか、それとも、彼の生き方は自己中心的な性格を反映しているのか。もし、結婚以外の関係の中で他の人を優先していないなら、結婚関係でもあなたを優先する可能性は低いです。対照的に、その人の現在の人間関係の中に犠牲的精神の資質を見ることができたら、結婚生活でもそのような資質が見られる可能性が高いです。

また、犠牲的精神がある夫だけではなく、妻を尊ぶ夫も求めるべきです。ペテロの手紙第一3章7節にはこうあります。「夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」あとで、夫を尊敬する妻の召しを論じますが、ここで「尊敬」と訳されている単語は、妻に夫を尊敬するよう教える箇所で使われている単語とは違います。

ここでペテロが使う単語はギリシャ語で「ティメ」ですが、それは誉れという意味です。妻を大事にし、妻の価値を認識するという意味です。犠牲的精神は自分のことを低くすることですが、誉れは相手のことを高くすることです。女性はそのような精神を持つ夫を探してください。

5. 従順で夫を尊敬する妻

第五に、男性は、従順で夫を尊敬する妻を求めるべきです。今の時代には言いにくいことですね。しかし、これまで挙げてきたどの点よりも、この点を裏付ける聖書箇所が多くあります。

  • すでに見たように、エペソ人への手紙5章22節にはこのようにあります。「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」
  • コロサイ人への手紙3章18節も似ています。「妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。」
  • テトスへの手紙2章で、パウロは年配の女の人について語る中で、こう言っています。「彼女たちは若い女の人に、夫を愛し、子どもを愛し、 慎み深く、貞潔で、家事に励み、善良で、自分の夫に従順であるように諭すことができます」(4−5節)。「従順」と訳されているギリシャ語はエペソ人への手紙とコロサイ人への手紙での「従いなさい」と同じ単語です。
  • ペテロの手紙第一3章1節も同じことを教えています。「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。」ここでの「従いなさい」も、上で見た三つのパウロの手紙で使われている単語と同じです。

ここで、妻が夫に従うとは、どういう意味でしょうか?それは妻が夫のしもべであるという意味ではありません。妻が自分の意見を持ってはいけないという意味でもありません。夫がいつも正しい、あるいはいつもすべてを決める権限を持っているという意味でもありません。この概念を理解するためには、これらの箇所で、どのような従順について語られているかを理解する必要があります。

『女性が妻を尊ぶ夫を求めるべきであるように、男性は夫を尊敬する妻を求めるべきです。』

これらの箇所の中で、エペソ人への手紙5章だけは、妻の夫への従順を他のものと比較しています。「主に従うように、自分の夫に従いなさい。」また、直後、24節でパウロは「教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい」と言います。教会がキリストに従うように妻は夫に従うべきだと示しているのです。

教会での私たちは、キリストを信頼しています。また、私たちがキリストを愛し、従うのは、キリストが先に私たちを愛してくださったからです。つまり、妻の従順は夫のキリストのような愛とともに存在するようデザインされています。その場合、夫に従うことは重荷にはなりません。

夫に従うとは、夫の指示や判断に対して信頼する姿勢を持つということです。いつも夫に同意する必要はありませんが、夫の代わりに結婚生活や家庭をリードをしようとするべきではないという意味です。

第三の資質で、男性の私たちは受け身になる傾向がありますが、霊的にリードするためには受け身であってはいけないことを説明しました。同じように、女性には状況をコントロールしようとする傾向が見られることがあります。しかし、健全な結婚をするためには、男性と女性どちらの傾向も役に立たないものです。

ですから、男性は、キリストに従う妻を求めるべきです。もし、結婚相手候補の女性が、独身としてキリストに忠実に従っているなら、結婚生活でも妻としてあなたに適切に従う可能性が高いです。しかし、もしキリストにあまり従っていない女性なら、気をつけてください。

また、従順なだけではなく、尊敬を示す妻を求めるべきです。エペソ人への手紙5章の結婚についての教えの終わりで、パウロはこのようにまとめています。「あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。 妻もまた、自分の夫を敬いなさい」(33節)。自分の夫を尊敬しなさいと言い換えることもできます。

『神がデザインした結婚の目的を果たしたら、表面的な幸せではなく、神から与えられる喜びを経験できます。』

同じようにペテロは、妻たちが自分の夫に従う召しがあることについて語る中で、こう言っています。「夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです」。ここで、ギリシャ語の本文に「神」という単語はありません。「あなたがたの恐れ」とだけ書かれています。そして、この箇所の文脈からは、神への恐れではなく、夫への恐れという意味である可能性の方が高いと考えられます。

しかし、この場合のギリシャ語の恐れは「何かを怖がっている」というような恐れではなく、むしろ、尊敬という意味です。ですから、女性が妻を尊ぶ夫を求めるべきであるように、男性は夫を尊敬する妻を求めるべきです。

結論

「初対面で結婚」の参加者たちは、幸せになるために結婚を望みます。しかし、もし結婚相手を選ぶ基準が自分を幸せにしてくれる人を見つけることであるなら、あなたも相手も幸せになりません。結婚の目的は自分たちが幸せになることではなく、キリストと教会の関係を表すことです。もし、キリストと教会の愛し合う関係をあなたと一緒に表すことができる相手を見つけたら、結婚の目的を果たすことができます。そして、神がデザインした結婚の目的を果たしたら、表面的な幸せではなく、神から与えられる喜びを経験できます。

20年前に私は妻と初めて出会いました。最初に私が気づいたことは、彼女が他の人に仕える女性だということでした。彼女が人に仕える姿に、彼女の神への愛がはっきりと表れていました。

この20年の間、たくさんの喜びと苦難がありました。もし、妻にそのような聖書的な資質がなかったら、私の人生はとても惨めだったでしょう。しかし、キリストと教会との関係を表す結婚を通して、神の恵みによって、私はより深く福音を理解するようになりました。それは簡単なことではありませんが、永遠の価値があります。

この記事は『性・結婚・ジェンダー』を聖書から学ぶ – CBS教授陣メッセージシリーズ第2回目です。

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