同性愛

デイモン・チャ(著者) 、ブラッシュ木綿子(翻訳) - 2025年 11月 06日  - 

この記事を読んでひとつ覚えておいて欲しいことがあるとすれば、「同性愛の嗜好があっても、クリスチャンでいられる!」ということです。同性に惹かれることは赦されない罪ではありません。救いの文脈、義認の文脈において、同性愛の嗜好は他の罪と何ら変わりありません。たとえどんなに小さな罪であっても、すべての罪は私たちを地獄に定めます。隣人の車を欲しがろうが、同性愛の嗜好があろうが、そのどちらかだけで、私の地獄行きが決まるのです。そして、このさばきは正しいのです。同じように、大まかな言い方になりますが、聖化の文脈においても、同性愛の嗜好は他の罪と変わりありません。強い誘惑が絶え間なく襲い掛かるかもしれません。けれども神は、福音を用いて誘惑と戦うように命じておられます。そしてもし誘惑に負けてしまったとしても、悔い改めることができます。そして悔い改める私たちを、神は赦してくださるのです。同性愛の嗜好をもっていること自体が、あなたを救いから除外することはありません。同性愛は罪です。でも決して、赦されない罪ではありません!そう言わないなら、福音を歪めることになります。

『神は、福音を用いて誘惑と戦うように命じておられます。そしてもし誘惑に負けてしまったとしても、悔い改めることができます。』

しかしながら、今日の教会が直面しているより大きな問題が福音を歪めています。今や多くの教会が同性愛は罪ではないと教えています。同性愛は自由主義の教会ではすでに広く受け入れられており、いわゆる福音派と呼ばれる教会にもこの流れが波及しています。こうした教会では同性愛の関係をもっている人であっても、同性同士の結婚や按手を含む、クリスチャンの祝福と義務をすべて享受することができます。このように彼らを許容しないことは、特に、優しく愛に満ちた同性愛の人を知っている人にとっては、とても難しいことです。1 彼らは言うでしょう。「神が彼らを拒絶されるわけはない!」、「彼らは私より良い人たちだ!」と。けれども、単に誰かが優しく愛に満ちているからと言って、その人に罪がないわけではありません。すべての人が罪を犯し、神の栄光を受けることができないのです!同性愛、異性愛のいかんにかかわらずです。だからこそ、聖書の上に私たちの神学を築くことが重要です。神は何を真理とされているのでしょうか。この記事では、同性愛を認める人たちの論点を挙げながら、それに対する反論を示していきます。それによって同性愛が確かに罪であることを示すことができたらと願っています。そしてまた、そのように教えないなら、福音を歪めることになることも示されるように願っています。ここで明確にしておきたいのは、同性愛が罪ではないと教えることは、人々を地獄に導くということです。だからこそ、この問題を正しく理解することは非常に重要なのです。

聖書には同性愛が罪だと教えている箇所がいくつかあります。2 一番よく知られているのはおそらく創世記19章のソドムとゴモラの箇所でしょう。3 ソドムとゴモラは、ユダの手紙7節とペテロの手紙第二2章6節でも言及されています。ただ、多くの自由主義の学者は、こうした箇所は同性愛のレイプ行為を糾弾しているにすぎないとしています。こうした箇所は同性愛そのものを罪に定めているのではなく、相手を搾取するような同性愛の行為を罪に定めているだけだというのが彼らの主な主張です。相手を搾取するような行為には、レイプや売買春、古代ギリシャで社会的に受け入れられていた成人男性と少年の間の同性愛の関係が含まれます。聖書はこのような搾取的な同性愛の行為は咎めているが、相思相愛の同性愛を咎めているわけではない、と言うのです。また彼らは、古代近東やギリシャの世界では、相思相愛の同性愛という概念が存在せず、聖書がそのような関係を非難しているわけがないと論じます。この点については後述します。

『すべての人が罪を犯し、神の栄光を受けることができないのです!同性愛、異性愛のいかんにかかわらずです。』

しかしながら、ソドムとゴモラの広い文脈において、聖書が同性愛を罪に定めていることは明らかです。創世記1章と2章に登場するアダムとエバは、神の示される性的な関係の模範です。創世記4章でレメクは同時に二人の妻をめとります。この箇所で一夫多妻は明確に咎められていませんが、アダムとエバが性的関係の模範であることを鑑みれば、一夫多妻は確かに非難されているのです。同様に、創世記19章のソドムとゴモラの箇所で同性愛が明確に罪とされていなくても、聖書全体に照らして考えるとき、同性愛が罪であることは確かです。聖書は究極的には一人の著者による一冊の本ですから、そのように理解することが大切です。

搾取的な同性愛の行為だけでなく、同性愛全般を罪とする箇所が他にもいくつかあります。たとえばレビ記18章22節がそうです。4 多くの自由主義の学者は、この箇所は異教の儀式的な売買春だけを指していると論じています。けれども、この文脈では性的な罪全般が語られており、異教的、儀式的な罪だけが取り扱われているわけではありません。さらに、レビ記20章13節では同性愛の男性双方が罰せられます。同性愛の行為がレイプだけだとするなら、このようなさばきはおかしいでしょう。なぜ被害者まで殺されなければならないのでしょうか。ローマ人への手紙1章18-32節も、同性愛の関係にある当事者双方を罪に定めています。5 27節では「男同士」という言葉が使われています。双方ともに罪があり、相手に対して相互に性的な欲望を抱いているのです。パウロがレイプ犯のみを非難しようとしていたのなら、違う言葉を選んだはずです。しかしパウロはすべての同性愛を罪としているのです。最後にコリント人への手紙第一6章9-10節を見てみましょう。6 ここでもパウロは同性愛の関係にある当事者双方を非難しています。この箇所はとても重要なので、また後で戻りたいと思います。おわかりでしょうか。聖書は相手を搾取するような同性愛の関係をもちろん罪に定めています。けれどもそれだけではないのです。聖書はすべての同性愛の行為を罪としているのです。

また、当時の世界でも、相互に愛し合う同性愛の関係があることが認識されていました。たとえば、プラトンの『饗宴』は紀元前380年頃に書かれたと考えられていますが、その中でアリストファネスは、異性愛関係に類似した同性愛関係について語っています。7 双方が相手を求め、ずっと一緒にいたいと願っています。彼らは互いのことを「真実の伴侶」だと思っているのです。つまり当時でさえ、相思相愛の同性愛の関係という概念はあったということです。実際この点において、非宗教的な学者のほとんどは、キリスト教自由主義の学者と違う見解なのです。

『聖書のみが私たちの最終的な権威でなければいけません。どの律法が一時的で、その役目を終えたのかを私たちに教えるのは聖書のみです。』

自由主義の学者がよく掲げるもう一つの主張は、保守的なクリスチャンは、どの律法に従うかを、自分の好みで選んでいる、というものです。8 たとえば、旧約聖書には食物に関する多くの律法がありますが、なぜ今は豚肉やロブスターを食べても良いのでしょうか。旧約聖書の律法のひとつの目的は、イスラエルを周囲の民族と文化的に異なるものとして区別することでした。こうした律法には、食事や衣服、金銭に関するものがあります。イスラエルはまた、新しい天と新しい地の型でもありました。周囲の偶像にまみれた文化の中にあって、イスラエルは神の聖さを映し出すように定められていたということです。しかしながら、イスラエルは常に「一時的」な存在でした。というのも、真のイスラエルであるキリストが来られることが決まっていたからです。そして、真のイスラエルであるキリストが、私たちに代わって旧約聖書の律法にすべて従われたので、型としてのイスラエルは、もはや必要なくなったのです。実物が来たなら、影は必要なくなるのです。新約聖書はイスラエルの型としての一時的な性質を理解しています。ゆえに、旧約の文化の文脈で与えられていた律法も一時的なのです。しかしながら、聖書のみが私たちの最終的な権威でなければいけません。どの律法が一時的で、その役目を終えたのかを私たちに教えるのは聖書のみです。食事に関する律法が終わったことは、使徒の働き10章などからわかります。同時に新約聖書は、旧約聖書の道徳的な律法は今日の教会の時代にも当てはまることを教えています。こうした道徳的な律法に、殺人や姦淫、盗み、同性愛の罪などが含まれるのです。上述したように、同性愛は新約聖書でも罪とされています。保守的なクリスチャンは、どの律法に従うかを任意に選んでいるわけではなく、聖書に従っているのです。

自由主義の神学者は、現代文化のレンズを通して聖書を理解します。彼らはたとえばアメリカで行われた奴隷制や人種隔離政策を引き合いに出して次のように論じます。9 教会はかつて、奴隷制と人種隔離政策は聖書で認められていると主張していたが、今我々はそれらが罪だと知っている、と。けれども、彼らの歴史観は正しくありません。確かに教会の中には、特に南部の州で、そのように主張するところもありましたが、当時でさえ、人種差別については議論が分かれ、教会に一致した見解があったことはありませんでした。むしろ、アメリカにおける奴隷制の廃止に、教会が非常に重要で主導的な役割を果たしたとさえ言えるのです。しかしながら同性愛については、ここ数十年まで、すべての教会が同性愛を罪としていたのです。ですから、人種差別と同性愛で聖書の教えの明白さを比較することはできません。繰り返しになりますが、自由主義神学者は文化のレンズをを通して聖書を読んでいることを大っぴらに認めています。彼らは「自分らしくなければならない!」「セックスは個人のアイデンティティに欠かせない!」「自分の思い通りに生きてよい」などと主張します。彼らの前提が間違っているために、解釈も間違うのです。聖書より文化を優先するなら、文化が最終的な権威となります。聖書より文化を優先するなら、聖書の解釈は常に文化を反映しただけのものとなるのです。

同性愛は福音に関わる問題です。10 異なる解釈があっても大丈夫というような問題ではありません。携挙があると信じるかどうかは、救いに影響しません。教会政治や洗礼、女性の按手に関して見解が異なるというようなものでもありません。新天新地において、私たちは子どもに洗礼を授けるべきであったかどうかを知ることになるでしょうが、バプテスト派も長老派も、どちらも御国にいるはずです!しかしながら、同性愛は違います。同性愛は福音に関わる問題です。つまり、悔い改めることなく同性愛の行為を続けていくならば、その人の行き着く先は地獄だということです。コリント人への手紙第一6章9-10節に戻りましょう。パウロは「思い違いをしてはいけません」と言っています。違う訳では「騙されてはいけません」となっています。同性愛を実践する人が御国に入ることはないのです。この教えはテモテへの手紙第一1章3-11節でも繰り返されています。同性愛の行為を悔い改めないならば、救われないということです。パウロはこの真理を否定する人がいることを想定しています。ある種の同性愛は神に受け入れられると論じる人がいますが、パウロの主張は明確です。悔い改めのない同性愛の行為は人々を地獄へ導くだけなのです。

『同性愛の罪も他の罪と何ら変わりありません。神は私たちに福音を用いて罪と戦うように命じておられます。』

どの罪にも言えることですが、同性愛の嗜好にはそれ特有の難しさがあります。その難しさに各人の罪の傾向が合わさって、聖化への道はさらに複雑になるでしょう。けれども広い意味では、同性愛の罪も他の罪と何ら変わりありません。神は私たちに福音を用いて罪と戦うように命じておられます。歴史的に見て、教会はこの基本的な真理をもっと明確にするべきでした。同性愛の人が教会から愛と希望を受け取る代わりに、恥と絶望を経験させられたことが多くありました。もしあなたが同性愛の嗜好と戦っているなら、あるいは戦っている人を知っているなら、自分自身にも、周りの人にも、福音を語ってください。そこにこそ平安が見つかるでしょう。神に、そして信頼できる人に、自分の葛藤を話してください。

セックスは良いものです。神が創造されました。性的な喜びは本来、福音を指し示しています。それは新天新地で私たちが経験することになる喜びの影なのです。でも、セックスは永遠には続きません。新天新地にセックスはありません。実質が現れた後は、影はもはや必要ないからです。セックスは永遠のものではないのです。ですから、セックスに究極の意義をもたせてはいけません。私たちのアイデンティティを決定づけるものとしてセックスを位置付けてはいけないのです。永遠でないものに、永遠の意義を与えてはいけません。

コリント人への手紙第一6章11節をもって終わりましょう。「あなたがたのうちのある人たちは、以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」これが福音です。私たちは以前は不義の者でした。しかし、福音のゆえに今や清められたのです!まだ不義の者と同じように罪との葛藤はありますが、私たちは今や新しくされたのです。新しくされた私たちは罪と戦うことができます。罪に勝利することができます。そして失敗したときにも、悔い改めることによって、神の目に清くあり続けることができるのです。神に感謝しましょう!

この記事は『性・結婚・ジェンダー』を聖書から学ぶ – CBS教授陣メッセージシリーズ第5回目です。

脚注

[1] https://www.redeemer.com/redeemer-report/article/the_bible_and_same_sex_relationships_a_review_article

[2] この記事で取り上げたことの多くは、サム・オールベリー著の『Is God anti-gay?(神は同性愛に反対か)』という本に基づいています。とても助けになる本です。残念ながら邦訳はまだですが、英語で読める人にはお奨めします。

[3] Is God anti-gay? 92-4. 

[4] Is God anti-gay? 95-6.

[5] Is God anti-gay? 96-100.

[6] Is God anti-gay? 100-4.

[7] https://www.redeemer.com/redeemer-report/article/the_bible_and_same_sex_relationships_a_review_article

[8] Is God anti-gay? 108-11.

[9] https://www.redeemer.com/redeemer-report/article/the_bible_and_same_sex_relationships_a_review_article

[10] Is God anti-gay? 100-4.

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