神の名

ダニエル・J・エバート(著者) 、ブラッシュ木綿子(翻訳) - 2025年 09月 23日  - 

定義

神の名は、神が人との関係においてご自分を明らかにされるときの呼び名、称号、比喩です。主がイスラエルにご自分を開示されるときに神の名が明かされました。この啓示は福音において頂点に達します。すべての人のための福音において神の名は、父、子、聖霊を含むものとして展開されました。

要旨

聖書における神の名は、神の自己啓示になくてはならないものです。神の名の研究は、適切な解釈の原則を用い、聖書の物語の筋に沿ってなされるのが最善です。神の主要な名と、それに付随する多くの称号は、はじめ旧約聖書で啓示されました。聖書はまた、神の名について明確に記述していますが、これは特に神の個人名であるYHWH(ヤハウェ、典型的に「主」と訳される)に当てはまります。神の名とその機能は神の性質を明らかにし、イスラエルと神の関係について教えます。神は歴史に介入されながら、ご自分の名についてより多くのことを啓示されました。神がキリストにおいて行動されるとき、それは旧約聖書で名を明かされた神が働いておられるということです。このことは、キリストに使われている名前、特に「主」という名によってキリストが特定されていることからわかります。ギリシャ語訳の旧約聖書ではYHWHはキュリオス(ギリシャ語で「主」)と訳されていますが、この名前がそのまま新約聖書に引き継がれました。福音の到来によって神のアイデンティティの新たな側面が啓示され、イエス・キリストと聖霊が神の名に含められました。聖書は、その御名とアイデンティティが父、子、聖霊である神を教え、ユダヤ人も異邦人も含めたすべての人が教会としてどのようにこの神と関わることができるかを教えています。


導入

名はその人のアイデンティティを明らかにします。聖書に記されている神の名は、神のアイデンティティを知るために不可欠です。神はどなたであり、どのような方なのでしょうか。聖書の中に明かされる神の名を知ることによって、私たちは神に信頼し、教会に与えられた使命(御名の栄光のために世界規模で与えられている使命)に忠実であることができるのです。

『神がキリストにおいて行動されるとき、それは旧約聖書で名を明かされた神が働いておられるということです。』

神の名を研究する際の原則

神の名を研究するときには、方法論上で考慮すべき重要な点があります。第一に、私たちは聖書が神の名について明確に述べていることに注意を払うべきです。例えば、神がモーセにご自分の名を説明されたところ(出エジプト3章)や、新約聖書で、イエスにすべての名にまさる名が与えられたと言われているところ(ピリピ2:9-11)などです。

また、神の名の解釈は、言語学の原則に導かれてなされるべきです。文脈に注意を払うとともに、語源を用いる際には慎重に、聖書に足並みをそろえて行うのが最も安全です。例えば、聖書はYHWHの意味(出エジプト3:15)やイエスの名前の意味(マタイ1:21)を解き明かしています。

私たちは、神がご自分の名について何を明らかにされているかをよく観察すべきです。主は最初、エル・シャダイとして、後にYHWHとしてご自分を啓示されました(出エジプト6:2-5)。とは言え、これは同じ神です。YHWHはモーセに、自分は族長たちと契約を結んだ神であることを告げられました(出エジプト3:15)。新約聖書では、神の名に御子と御霊が含まれることが啓示されます(マタイ28:20)。しかし、この唯一の神が、依然として族長たちの神なのです(マタイ22:32)。

最後に、聖書が神の名について何を述べていないかについても注意しなければいけません。聖書はイスラエルの民に、神の名をお守りや呪文のように用いることを教えていません。同様に、神の名に敬意を表する必要はあるものの、神の名を発音することや口にすることを禁じているわけではありません。1

旧約聖書の神の名

神の名

ヘブル語で神を表す最も一般的な名前はYHWH(ヤハウェ)、エロヒム、アドナイです。ヤハウェには多くの複合形(特にヤハウェ・サバオーツ(「万軍の主」))があり、エロヒムの同義語(エロアなど)、またエルにも複合形(特にエル・シャダイ)があります。神には王、創造主、父、聖なる方、贖い主、岩などの呼び名もあります。こうした名前と様々な複合形、その他多くの呼び名は注目に値しますが、この記事ではそのうちのいくつかを紹介するにとどめます。

神の名が啓示すること

エル、エロア、そして尊厳を表す複数形のエロヒムは2500回以上登場します。これらは同義語ですが、英語の「ゴッド(God)」やギリシャ語の「セオス(theos)」のように、神を意味する基本的なヘブル語の単語です。神のアイデンティティを形成するのは一般名詞での呼称ではなく、神のことば、みわざ、そして働かれ方です。例えば、クルアーン及びイスラムの伝統で神を指す「アッラー」というアラビア語の単語にはある特定の意味があります。けれども同じ単語がアラビア語を話すクリスチャンによって使われると、違う意味を持つことになります。神のみわざによって神の名に独自の意味が加わるのです。

『聖書が神の名について何を述べていないかについても注意しなければいけません。』

旧約聖書にあふれているのがYHWHです(6828回)。これは間接的に新約聖書にもあふれています。YHWHは「存在する」(出エジプト3:14)を意味するヘブル語に由来するため、神の自存など抽象的な真理を示唆することもあり得ます。しかし聖書の文脈では、この名は神が一人ひとりに関心を持ち、ともにおられ、真実な方であることを教えています。YHWHは神の契約の名です(出エジプト6:2-8)。イスラエルの民が従わなかったとき、新しい契約を約束したのはこのYHWHです(エレミヤ31:31-34)。

他の神の名も、YHWHの周辺に集まる傾向があります。「万軍の主」(286回)はほぼ常にYHWHと一緒に出てきます。ダビデ王の影響力は「万軍の神、が彼とともにおられた」がゆえに増し加わりました(IIサムエル5:10)。ヘブル語でこれは「ヤハウェ・エロヒム・サバオーツ」です。「万軍」とは、御使いやイスラエルの軍を含む神の軍勢を指します。YHWHは王、主権を持つ戦士なのです。「アドン」という称号もまた神の支配を示します。複数形のアドナイ(456回)は、後のユダヤ人の用い方からしても、特に重要です。

後に、ユダヤ人はYHWHを発音しなくなり、アドナイまたはハシェム(「御名」)と言うようになりました。けれども、このように神の名を発音しなくなったのは後代になってからのことです。初期のころにはレビ人が祝福の中で発音していました(民数記6:24-27)。民も御名を覚え(出エジプト20:24; 23:13)、御名によって正しく誓いました(申命記6:13)。詩篇も、御名が語り告げられ(詩篇22:22)、ほめたたえられ(詩篇100:4)、歌われ、賛美され、高められる(詩篇66:2; 7:18)など、YHWHが発音されていたことを裏づけています。2 神は民との親密さを望まれ、もちろん御名は聖なるものですが、ご自分の名が啓示と祝福の源となることを意図しておられたのです。

「父」という神の呼び名はこの親密さを表しています。神はイスラエルをご自分の子とされ、両者の間にある契約の関係を示されました(出エジプト4:22-23)。それゆえに、真実であり続けられなかったイスラエルの失敗はことさらに嘆かわしいのです(ホセア11:1-4)。イザヤ書の終わりに、父なる神に対する悲痛な告白があります(63:16-17)。

神がご自分の住まいとして御名を置かれるとき、そこに神がおられます(申命記12:5)。名が神ご自身を表すのです。3 ある「もの」に神の名が置かれるとき、それは神の所有であることを示します。契約の箱は神の名で呼ばれ(IIサムエル6:2)、神殿も(I列王8:43)、エルサレムも(エレミヤ25:29)、そして最も重要なことに、神の選びの民も(6:27)、神の名で呼ばれました。

神の名に対する御民の応答

『神は民との親密さを望まれ、もちろん御名は聖なるものですが、ご自分の名が啓示と祝福の源となることを意図しておられたのです。』

主は、ご自分の民にその名を宣言することによって、御名を大いなるものとすることを選ばれました(Iサムエル12:22)。そして民には、世界で主を代表する使命がありました(詩篇29篇)。主は、民が御名をみだりに口にすることを禁じられました(出エジプト20:7)。つまり、不適切に御名を代表してはならないということです。民の使命は、YHWHの使者として、その名を携えて行くことでした。4

しかしイスラエルは失敗します。そこで預言者たちが登場し、神がその民を贖い、御名の栄光をさらに広げられるときのことを指し示すようになりました(エゼキエル36:20-23)。神はご自分の名についてより多くのことを啓示されます。民は新しい名で呼ばれ(イザヤ62:2)、国々もYHWHの名で呼ばれるようになるのです(アモス9:11-12)。

新約聖書の神の名

新しい状況の中で神がご自身を啓示されるにつれて、イスラエルの民は主についてより多くのことを学んでいきました。この啓示は、キリストにおいて神の栄光が明らかになることによって花開きました(IIコリント4:6)。ここで「すべての名にまさる名」において(ピリピ2:9)、神の愛の性質が最も完全に明らかにされました。

同じ神の名

新約聖書の神の名には、(旧約聖書からの)連続性と非連続性の両方が見受けられます。族長たちに語られた神が、今や御子にあって語られました(ヘブル1:1-2)。新約聖書の神の名は、この連続性を裏付けています。多くの場合に以前にギリシャ語に訳されていた神の名が新約聖書でそのまま用いられているからです。サムエル記第二7章8節を引用しているコリント人への手紙6章18節で用いられた「全能の主」がその一例です。「全能の主」はギリシャ語の「キュリオス・パントクラトール」の訳です。旧約聖書のギリシャ語訳で、ヘブル語のヤハウェ・サバオーツとヤハウェ・エル・シャダイが「キュリオス・パントクラトール」と訳されていました。

新約聖書で直接登場する数少ないヘブル語やアラム語の名前も、この連続性を例証しています。十字架の上でイエスは母国語で「エリ、エリ!」と叫びました(マタイ27:46)。マタイはこれを「テオス・ムー、テオス・ムー(わが神、わが神)」というギリシャ語に訳しています。イエスは詩篇22篇を引用しているのですが、22篇ではエルとエロヒムが1回ずつ、ヤハウェが7回出てきます。この意味するところは明白です。新約聖書がギリシャ語の「テオス」という単語を用いる場合(1235回)、それはイスラエルの神を指しているということです。

同じ神を三位一体の神とする名前

しかし、新約聖書となった今、神の名は根本的に新しい局面を迎えました。神の子イエスの、神の名とアイデンティティへの参与です。新約聖書の神の名がこれを裏付けています。

ユダヤ人は聖書でYHWHという名前のところに来ると、アドナイと発音する習慣がありました。ですから、キリスト以前に、ギリシャ語の旧約聖書はYHWHをキュリオス(アドナイのギリシャ語)と訳していました。それでYHWHは新約聖書でもキュリオスです。そしてこれは父なる神を指して約100回用いられています。けれどもこれが、700回以上も、イエスを指して使われてもいるのです(使徒2:36; ヨハネ20:28)。

『新約聖書となった今、神の名は根本的に新しい局面を迎えました。神の子イエスの、神の名とアイデンティティへの参与です。』

こうした用法のいくつかは、YHWHを含む旧約の聖句の引用ですが、これがイエスに適用されているということです。このような例はパウロの著作に多く見られます(ローマ10:13; Iコリント2:16)。5 他にも同様の引用や暗示が、新約聖書の随所に見られます(Iペテロ2:3; 3:15)。

「イエスは主(キュリオス)です」はクリスチャンの基本的な信仰告白です。イエスは本当にYHWHであった、という告白です(ローマ10:9-13; ピリピ2:9-11)。これと同じ認識が、キリスト教の最初期の祈りにも示されています。「マラナ・タ!(主よ、来てください)」です(Iコリント16:22)。これには旧約聖書にある神を意味するアラム語の「マーレ―(Mārē)」(ダニエル2:47)が入っています。新約聖書でこの名前はキリストを指し、初期のクリスチャンがイエスを主として礼拝していたことのさらなる証拠ともなっています。ギリシャ語旧約聖書のYHWHの訳には、あまり一般的ではないデスポテスという単語もあります。これは新約聖書で神(ルカ2:29)とキリスト(ユダ4; IIペテロ2:1)の両方を指す語として使われています。

キリストにおける神の啓示により、神の名は新しい方向性を持ちました。この神の名の「再構成」は複雑です。その神性において、キリストは神の名を取ります(ヨハネ1:1)。その人性において、キリストに神の名が与えられます(ヨハネ17:11-12)。ヘブル人への手紙が、この複雑な現象を捉えています。イエスは御名を受け継ぎました(ヘブル1:4)。これはYHWHを指すでしょう。けれども、その神性において、御子は神の名に参与しているのです(ヘブル1:10-12)。御子は御民と同じようになることで、教会で神の名を語り告げ、賛美を主導します(ヘブル2:12; 詩篇22:22)。イエスの大祭司としての役割を通して(ヘブル4:14)、信仰者もまた賛美のいけにえをささげ、愛をもって御名をたたえるのです(ヘブル13:15; 6:10)

マタイの福音書28章19節では、「名」に単数形が用いられていることから、神の唯一性が肯定されています。しかし同時に、「父、子、聖霊の名」として、三位一体性も補完されています。ここに神の統一性と、福音における「関わられる方」としての複数性が明らかにされ、より完全に神のアイデンティティの問いに答えるのです。YHWHである、父、子、聖霊が、神の名です。イスラム教の神の概念はこれとは根本的に違っています。イスラムで神の名は「アッラー」ですが、三位一体であるという主の自己啓示を拒絶するからです。これは神学的に大きな意味を持ち、福音の拒絶にもつながっていきます。6

神の名に対する教会の応答

「私たちの主、栄光のイエス・キリスト」(ヤコブ2:1, 7)を含む神の名が、今や新しい契約の民の上に宣言されています。この名には今、異邦人も含まれます(使徒15:16-18; アモス9:11-12)。この名に、私たちは救いを見いだすのです(ルカ24:27; ヨハネ1:12)。

『神の名に恥じるようなことがあってはならないのです。むしろ私たちは、神の名を忠実に地の果てまで携えて行かなければなりません。』

ヨハネの黙示録は、神の新しい名が記されていることの祝福と報いについて述べています(黙示録22:4; 3:12; イザヤ62:2も参照のこと)。この神の名を有し、かつ知っているのはキリストのみ(黙示録19:11-16)、そして、キリストに従う者です(黙示録2:17)。この形式は神の名を受けることについて語る旧約聖書の祝福を成就します(民数記6:27)。

「アバ(父)」は、もうひとつのアラム語の名ですが、ほぼ間違いなくキリストのお気に入りの神の名でした(マルコ14:36)。信仰者は今、御子の霊によって「アバ、父よ」と叫ぶことで(ガラテヤ4:6)、父として神を知りたいという昔からの願いに応えるのです(イザヤ63:16)。

神の民は王である祭司、聖なる国民として、神の名にふさわしく生きなければなりません(Iペテロ2:9-11; 1:15も参照のこと)。神の名に恥じるようなことがあってはならないのです。むしろ私たちは、神の名を忠実に地の果てまで携えて行かなければなりません(マタイ28:19-20; 使徒9:15)。7 それから主が、万軍の主が、戻られるのです(ヤコブ5:4, 7)。

結論

聖書における神の名は、救いのための神の自己啓示です。一般名詞の「神」ではありません。族長たちに約束された神であり、イスラエルと契約を結ばれた神であり、父、子、聖霊という名の神なのです。8 クリスチャンが「神」について話すときは、この神について話しています。私たちは父なる神に対して「ハレルヤ!」と賛美し、昔の教会とともに「聖霊よ、来てください!」と叫び、完成を期待して「マラナ・タ!主イエスよ、すぐに来てください!」と祈るのです。

神はご自分のことをますます多く啓示してくださいます。それによって神の民が、被造物にふさわしい形で、聖なる方を理解できるためです。しかし、神はその名前以上のお方です。おそらくここに、「御名」の前に口をつぐむ(旧約聖書のYHWHをユダヤ人が発音しなかったことや、初期のクリスチャンが「御名」に対して払った敬意)、貴重な教訓があるのでしょう。9 どれだけ恵み深く自己啓示してくださろうとも、神はなお、私たちには理解できない絶対的に完全な方であり、崇められ、礼拝されるべき方なのです。「とこしえにほむべきかな その栄光の御名。その栄光が全地に満ちあふれますように。アーメン、アーメン」(詩篇72:19)。

脚注

[1] On the NT avoidance of God’s name, see Mark Allan Powell, ed., The HarperCollins Bible Dictionary, 3rd ed. (New York: HarperCollins, 2011), 688.

[2] Carmen Joy Imes, Bearing YHWH’s Name at Sinai: A Reexamination of the Name Command of the Decalogue, Bulletin for Biblical Research Supplement 19 (University Park, PA: Eisenbrauns, 2018), 28, and n. 87.

[3] John M. Frame, Systematic Theology: An Introduction to Christian Belief (Phillipsburg, NJ: P&R Publishing, 2013), 383–84.

[4] See the study by Imes, Bearing YHWH’s Name at Sinai.

[5] See the fine study by David B. Capes, The Divine Christ: Paul, the Lord Jesus, and the Scriptures of Israel, Acadia Studies in Bible and Theology (Grand Rapids, MI: Baker Academic 2018), especially 111–50.

[6] See further, Daniel J. Ebert IV, “How Does God’s Love in Christ Relate to Islam?,” in The Love of God, ed. Christopher W. Morgan, Theology in Community (Wheaton, IL: Crossway, 2016), 161–84.

[7] “At the deepest level, use of God’s name is a matter of mission.” Terence Fretheim, Exodus, quoted in Imes, Bearing YHWH’s Name at Sinai, v.

[8] Christopher J. H. Wright, The Mission of God: Unlocking the Bible’s Grand Narrative (Downers Grove, IL: IVP Academic, 2006), 54.

[9] R. Kendall Soulen, The Divine Name(s) and the Holy Trinity, 1st ed. (Louisville, KY: Westminster John Knox Press, 2011), 177–89, 94–210. One scholar lists 2000 examples of “reserve before the name of God” in the New Testament (see, ibid., 277 n. 2).

参考文献

  • Bray, Gerald Lewis. “God.” In New Dictionary of Biblical Theology, 511–521. Downers Grove, IL: InterVarsity Press, 2000.
  • Capes, David B. The Divine Christ: Paul, the Lord Jesus, and the Scriptures of Israel. Acadia Studies in Bible and Theology. Grand Rapids, MI: Baker Academic 2018. See an Author Interview here.
  • Ebert IV, Daniel J. “How Does God’s Love in Christ Relate to Islam?”. In The Love of God, edited by Christopher W. Morgan. Theology in Community, Chapter 8. Wheaton, IL: Crossway, 2016.
  • Frame, John M. Systematic Theology: An Introduction to Christian Belief. Phillipsburg, NJ: P&R Publishing, 2013.
  • Hood, Jason, “Getting God’s Name Right,” The Gospel Coalition.
  • Imes, Carmen Joy. Bearing Yhwh’s Name at Sinai: A Reexamination of the Name Command of the Decalogue. Bulletin for Biblical Research Supplement 19. University Park, PA: Eisenbrauns, 2018.
  • Morgan, Christopher W. The Love of God. Theology in Community Series. Wheaton, Illinois: Crossway, 2016.
  • Powell, Mark Allan, ed. The HarperCollins Bible Dictionary. 3rd ed. New York: HarperCollins, 2011.
  • Sanders, Fred, Klaus Issler, and Gerald Lewis Bray. Jesus in Trinitarian Perspective: An Introductory Christology. Nashville, TN: B & H Academic, 2007.
  • Soulen, R. Kendall. The Divine Name(s) and the Holy Trinity. 1st ed. Louisville, KY: Westminster John Knox Press, 2011.
  • Wright, Christopher J. H. The Mission of God: Unlocking the Bible’s Grand Narrative. Downers Grove, IL: IVP Academic, 2006.

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