自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。 (ガラテヤ人への手紙6:8) 信仰は、神の恵みをできるだけ多く体験したいと願う、飽くなき欲求を持っています。そのため、信仰は神の恵みが最も自由に流れる川、すなわち愛の川に向かって突き進んでいきます。 他に、どのような力が働いて、私たちを居心地の良い部屋から押し出し、愛の求める不都合と苦難の行いへと促すでしょうか。 次のことに、私たちを駆り立てるものは何でしょうか? 恥ずかしくはあるが、知らない人に挨拶する 自分が憤慨しているとき、相手のところに行って和解を願い出る 什一献金を初めてやってみる 内心臆病な気持ちがあるが、同僚にキリストのことを話す 新しく引っ越してきた近所の人を聖書の学びに誘う 福音を携えて文化を飛び越える アルコール依存症の人のための新しいミニストリーを始める 誰かのために車を出して夜通し走る 刷新のために朝の祈りの時間を確保する これらはすべて犠牲の伴う愛の行いであり、自然と起こるものではありません。いずれも、神の恵みをもっと体験したいという信仰の新しい欲求によって駆り立てられた行動です。私たちは、神をもっと感じたいと願います。そして私たちは、誰にも邪魔されない安全で快適な一人の時間以上に、これを望んでいるのです。 信仰は、神に頼ることを喜びとし、神が私たちのうちに奇跡を行われるのを見ることを好みます。したがって、信仰は神の将来の恵みが最も自由に流れ出る川の流れ、愛の川の流れへと、私たちを導きます。 おそらく、パウロが「御霊に蒔く」ようにと私たちに語ったのは、この意味でしょう(ガラテヤ6:8)。信仰によって、私たちの活力の種を蒔くとき、その種は実を結ぶために御霊が働いておられるとわかっている畝(うね)、すなわち愛の畝に蒔かれるべきです。 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会 THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, What Moves You to Minister?.この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:What Moves You to Minister?.