神はあなたを心配してくださる

3月9日 第69日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 03月 09日  - 

ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

(ペテロの手紙第一5:6-7)

なぜ将来を心配することが、高慢とされるのでしょうか?

神がこの問いに答えるなら、こういうふうになるでしょう(イザヤ51:12の要約です)。

わたし——あなたを造った主——は、あなたを慰める者である。わたしはあなたを守ると約束している。あなたを脅かす者は、死ななければならない人間に過ぎない。だから、あなたの恐れは、わたしを信頼していないということだ。しかも、あなたの持ち合わせているものがあなたを守る保証はないのに、わたしの将来の恵みを信じるより、もろく弱い自分に頼ることを選んでいる。だから、あなたの恐れおののきは、弱さでありつつも、高慢をあらわにしているのだ。

では解決策は? 自分に頼ることをやめ、神に頼ることです。そして、神の将来の恵みの約束にある満ち足りた力を信じることです。

ペテロの手紙第一5章6-7節を見ると、心配することは高慢であることがわかります。二節間の文法的繋がりに注目してみましょう。「……神の力強い御手の下にへりくだりなさい。……[ここから7節]あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。」 7節は文章の切り替わりではなく、6節に対する従属節です。つまり「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねることによって、へりくだりなさい」というように、分詞構文になっているのです。

これは、思い煩いを神にゆだねることは、神の力強い御手の下にへりくだるための手段であることを意味します。例えば、こういうことです。「口を開けたまま噛まないで、行儀良く食べなさい」、「道路から目を離さないで、運転に気をつけなさい」、「感謝祭の食事に誰かを招いて、寛容でありなさい」、「神に恐れをゆだねて、へりくだりなさい」

へりくだるための一つの方法が、私たちのあらゆる思い煩いを神にゆだねることだ、ということです。これはつまり、神に思い煩いをゆだねる妨げになるのが高慢であることを指します。すなわち、過度の心配は、高慢の現れです。それがどれだけ弱く些細なものに見えたとしても。

ではなぜ、主に思い煩いをゆだねることが、高慢の反対になるのでしょうか? なぜなら、高慢は思い煩いがあることを認めたくないからです。もしくは、自分ではどうにもならないことを認めたくありません。たとえ手に負えないほどの恐れだと認めざるを得なくなっても、その解決策が自分より賢く強い他の誰かに頼ることであるなど、認めようとはしないでしょう。

つまり、高慢は不信仰の現れであり、将来の恵みについて神に信頼することを望みません。一方で、信仰は、助けが必要であることを認めます。高慢は認めません。信仰は神が助けてくださることを期待します。高慢は期待しません。信仰は神に思い煩いをゆだねます。高慢はゆだねません。

したがって、高慢の不信仰と戦うためには、自分に思い煩いがあることをしがらみなく認め、「神はあなたがたのことを心配してくださる」というみことばに約束されている、将来の恵みを喜ぶことです。そしてあなたの恐れを、主の力強い肩に下ろせば良いのです。

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, God Cares for You.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: God Care for Your