あなたの経験する感情はすべて、「助けてください」、「ありがとうございます」、「神さま、あなたは素晴らしい方です」、「主よ、どうしてですか」、「神さま、なぜですか」など、あなたの感じているところを言葉にして神のみもとへ走っていくようにと神がデザインされたものです。詩篇に見られるように、どんな感情も神との関係から排除されるものではなく、あらゆる感情は私たちを神に向かわせ、私たちの心と人生を神の御前に差し出すのを助けるためにあるのです。
健康な感情とは、常に幸せであることではありません。いつも笑顔でいなければならないというプレッシャーを感じるかもしれませんが、それは神が私たちに望んでおられることではありません。そこで、神の意図された感情のあり方に近づくための「健康な感情」の定義をご紹介します。健康な感情とは、自分がどんな感情を抱いているかを理解し、それにどう向き合えばよいかを知っていることです。
私がカウンセリングで好んで使う比喩は、「感情は車のダッシュボードのライトのようなものだ」というものです。あなたが車を運転して通りを走っていると想像してください。車には同乗者がいて、反対方向から走ってくる車もいて、歩道を歩いている人もいるので、あなたは慎重に運転しようとしています。しかし、突然、ダッシュボードのランプが点滅しました。あなたはどうしますか。そのランプをどう理解し、どう対応するかで、あなたの健康と安全だけでなく、あなたの周りの人の健康と安全も左右されるのです。ここで、人は一般に自分の感情をどのように理解して向き合おうとするのか、3つの典型例を紹介します。
1. 感情が全て。だから警告ランプを見つめる。
まず、点灯しているダッシュボードのライトを凝視して、それ以外のことを無視する人がいます。このタイプの人は点滅するライトを見ていて道路から目を離してしまうので、周囲で起こっているさまざまなことを見逃します。彼らは、「自分にとって一番大切なのは自分の気持ちだ。何が何でも自分の気持ちを表現しなければならない」と思っているのです。
このような考え方の目指すところは自分の気持ちを良くすることで、そのためにも、自分がどう感じているかを極度に意識します。そして、自分の気持ちを良くするために必要なことは何でも変えようとします。危険なのは、このような行動は、周囲の人や自分自身をも傷つけてしまうことです。だからこそ、私たちの文化では、「自分の原則に忠実であること、自分らしくあること」に生死を分けるほどの重要性が与えられているのです。
2. 感情なんて大事じゃない。だから警告ランプを無視する。
次に、ダッシュボードのランプを無視する人がいます。もっと集中すべき重要なことがあるからです。それは、運転という行為であり、車内で自分を頼る人たちであり、無事に目的地に到着することです。しかし警告ランプが示す問題に対処しなければ、車はいずれ壊れてしまいます。
これは、「感情を信用するな」というアプローチです。牧師には、論理一辺倒のタフさで自分の感情に対処しなければならないと考えている人も多いでしょう。こうした考えが教会でまかり通っていることがあります。特に、人々がどのように感じているかを共有し、助けを得ることができるような安全な人間関係が構築されていない教会ではそうです。こういうところでは、感情は重要ではない、あるいは、私たちを取り巻く他のすべての必要と比べたら重要ではないということになるのです。
3.感情は、自分の心が何を礼拝しているのかを知る機会である。
3つ目に、スピードを落とし、車を止め、ボンネットを開け、助けを求め、そもそもなぜランプが点灯したかを突き止めるという対応があげられます。感情のスイッチが入ったら、その感情は何を言っているのかに耳を傾け、自分が聞いていることを吟味し、その上でどう対応するかを決める必要があるのです。
自分が感じていることに向き合うと、自分の心が何を大切にしているのかがわかってきます。感情は私たちの心を明らかにし、私たちが何を礼拝しているのかを見極める助けとなります。感情を最小限に抑えるのではなく、できるだけ多くの感情を見つけ、そうした感情が何を言っているのかに耳を傾けた方が良いのです。自分の感情を理解することで、自分の心をより良く理解することができます。ですから、耳を傾けながら、「怒っているときに信じたくなる嘘は何か」、「この恐怖の裏にある本当の危険は何か、そして、この恐怖は私をどこに迷わせているか」といった質問をしましょう。私たちが自分の感情を理解し、それに向き合って初めて、私たちは神に立ち返り、自分の置かれた状況に正しく対応することができるようになるのです。
練習の時間を今取ろう
あなたは最近、どのような感情を経験することが多いでしょうか。あなたが感じること(感情)は、あなたの考え(思考)にどのようにつながっているでしょうか。
あなたの感情は、あなたが何を大切にし、愛し、信頼し、礼拝しているかを明らかにします。感情は、いつもあなたが大切にしているものについて話しているのです。では、あなたの感情は何について話しているでしょうか。あなたにとって大切なものについて、神について、あなた自身について、人間関係について、そしてあなたの置かれている状況について、あなたの感情は何を語っていますか。感情はひどい主人ですが、私たちの礼拝する心を見抜くには、素晴らしく有益です。
ダビデ王は、詩篇42篇5節で「わがたましいよ。/ なぜ おまえはうなだれているのか。/ 私のうちで思い乱れているのか。」と自問して、自分の感情と向き合っています。ダビデは自分の感情に耳を傾け、自分の心の中で何が起こっているかを見極めているのです。ですから、私たちも自分の感情に耳を傾けるときに、「今感じていることのうち、どれだけがこの状況に対する正しい反応か、自分はどこで誘惑を受け、罪に引き寄せられているか」を問うことができます。
自分が何を感じているのかを知り、できる限り正確にその感情を特定し、その感情のどの部分が良くて、どの部分が悪いのかを判断したとき、ようやくあなたは自分の感情に対応できるのです。ここでの目標は、自分の感じ方を変えることではありません。気持ちを変えることは、決していちばん大きな目標ではありません。むしろ、道路に戻り、自分の心が何を礼拝しているかをより良く認識しながら運転することが大事です。自分の心をよく知ると、自分にはどのようなものを実際よりも重要にしてしまう誘惑があるかを認識でき、結果として、私たちは神と人をより良く愛することができるようになります。
健康な感情とは、いつも「良い気分」でいる術を知っていることではありません。健康な感情とは、あなたがどんなことに直面していても、自分を丸ごと神のもとへ持っていく方法を知っていることです。それは、すぐに神が悪い感情を取り除いてくださるということではありません。実際、聖書を見ると、神が私たちを感情面で成熟させる方法は、私たちが礼拝するものを変えるやり方です。私たちの礼拝が変わるということは、私たちが感情や直面する状況に向き合うとき、キリストを中心に据えて向き合うことを学ぶことなのです。ですから私たちは、大胆に自分の感情のすべてをもって神の御前に出ていきましょう。私たちは、神が私たちの心を変え、私たちが全身全霊で神を礼拝することができるように助けてくださることを知っているのですから。