「私が言うから」ではなく、聞いてほしい:未信者と結婚してはいけない理由

キャシー・ケラー(著者)、ブラッシュ・木綿子(翻訳)-  2023年 04月 25日 - 

長年牧会してきた中で、ティムと私が最も多く対応しなければならなかった問題は、恐らく信者と未信者の間の結婚の問題です。(実際に結婚している場合と婚約段階の、両方を含めての話です。)どうにかして信仰をともにしていない人との結婚が許されないかと、必死に抜け道を探している独身者と話をするとき、私はいつも思うのです。私ではなくて、もうすでに未信者と結婚している人に体験談を聞かせてもらえたら、きっともっと簡単だろうに、と。そうすれば、独身者に「主にあって」結婚するように勧めている箇所(Iコリント7:39)や、「つり合わないくびき」をともにしないようにと勧めている箇所(IIコリント6:14)、異邦人との結婚を禁止している旧約聖書の箇所を並べ立てなくてもよくなるでしょう。(ここで異邦人とは、イスラエルの神以外の神を礼拝している異邦の民のことです。モーセはクシュ人と結婚していましたが、信仰は同じでした。民数記12章を参照してください。)

こうした聖書箇所はたくさんあります。けれども、特別な感情を持って未信者と付き合うことをすでに心で決めてしまっている場合、その人にとって聖書は、もはや「信仰と生活の唯一の規範」ではなくなってしまっています。その代わりに、「神は本当に言われたのですか」という、エバに対する蛇の嘘のようなことが囁かれるのです。こんなに愛し合っているのだから、こんなに未信者の側がキリスト教信仰を理解し、サポートしてくれているのだから、信仰は一致していないけれども、二人はこんなにも魂の部分で分かり合えているのだから、といった理由で、「この関係だけは例外なのではないか」とその人は考えます。私はこうした人の相談に乗るのに疲れてしまい、イライラしてピシャっと言いたくなります。「長期的には絶対にうまく行かないわよ。霊的に完全に一致している信者同士だって、結婚は大変なのよ。わざわざ不幸になるようなことをしないで、さっさとあきらめてしまいなさい!」と。でも、こんな厳しい言葉はキリストの優しさと相容れませんし、これで相手を説得できるわけでもありません。

悲しみを経て賢くなる

『配偶者に合わせるために、クリスチャンの方がキリストを生活の端へ追いやることになります。』

自分の愚かさのゆえに、あるいは、結婚してから片方が信仰を持ったために「つり合わない結婚」をしていて、相当の悲しみを経たがゆえに賢くなった女性(男性)と、のんきにも自分たちの情熱と献身があればどんな障害も乗り越えて行けると信じている独身者を引き合わせることができたらどんなに良いかと思います。彼らがしようとしていることは、「大胆な不従順」であると言う必要もないでしょう。10分も話せば事足りるはずです。(明瞭簡潔に話すことができる人であれば、1分でも良いかもしれません。)信仰を共有していないけれども「完璧に素敵な」男性と結婚したある女性はこう言っていました。「結婚する前に寂しいと思っていたなら、そんな寂しさは、結婚した後に感じる寂しさに比べたら、本当に何てことないわ」。未信者との結婚がどれほど難しいものであるか、自分の体験を正直に話してくれる人を見つけ出し、彼らに、大きな過ちを犯そうとしている「つり合わない」カップルにカウンセリングをしてもらう以外に、効果的な牧会方法はないのではないかと、私は本気で考えています。あるいは、独創的な映画製作者にアメリカ中を回ってもらって、未信者と結婚している人を40人から50人くらい取材してもらい、彼らの痛みがどのようなものであるか、生の声を集めたドキュメンタリー映画を作るのもいいかもしれませんね。どんな講義よりも、当事者の証しが一番強力ですから。

真の3つの結末

ただ、当面のところそのような映画もないし、経験者とのペアリングもできないので、私が書きましょう。つり合わない結婚の結末は、3つしかありません。(ここでの「つり合わない」には、真の熱心なクリスチャンが、クリスチャンとは名ばかりの人や、自分と比べて信仰者としての経験や成長がずっと遅れている人と結婚したい場合も含みます)。

  1. 配偶者に合わせるために、クリスチャンの方がキリストを生活の端へ追いやることになります。実際に信仰を捨てるまでに至らなくとも、家庭内の平和を優先させて、デボーションや他の信者を家に迎えること(スモールグループの集まりや、困っている人を緊急に泊めてあげるなど)、宣教師を支えること、献金、子どもを信仰者として育てること、他の信仰者との交わりなどが、最小限になったり、回避されたりするでしょう。
  2. あるいは、クリスチャンが結婚においても確固とした信仰生活を続けていくために、未信者の配偶者が端へ追いやられることになります。聖書の学びや祈り、宣教旅行、もてなしの意味がわからない未信者の配偶者は、相手と一緒にこのような活動をしたいとは思わないでしょう。相手が最も大切にしていることに心から同調して参加することができないなら、深く一致のある結婚は見込めないでしょう。
  3. その結果、結婚生活に負担がかかり、破局を迎えるか、負担がありつつも一緒にい続けるか、のどちらかになります。一緒にい続ける場合でも、どちらかが何らかの面で相手のスタンスを受け入れて我慢しているのです。このような結婚生活では、双方が寂しく、不幸だと感じるでしょう。

上に挙げたような結婚が、あなたの望む結婚ですか。あなたの信仰者としての成長を阻むか、夫婦としての成長を阻むか、あるいはその両方が起こる結婚ですよ。先ほど引用したコリント人への手紙6章14節の「つり合わないくびき」という言葉をもう一度考えてみてください。私たちの多くがもはや農業のことに詳しくないと思うのですが、例えば農夫が雄牛とロバをくびきでつないだ様子を想像してください。重い木のくびきは、本来二頭の力を活かすためにありますが、牛とロバでは大きさも、重さも、歩くスピードも、足取りも違います。これでは重さが不均等にかかって、本来は二頭のチームワークのためにあった道具が、二頭の体を痛めつける結果となるでしょう。つり合わない結婚は、クリスチャンにとって賢明な選択ではないばかりか、未信者の相手にとっても不公平なものであり、両者にとって試練となるのです。

『私たちは、つり合わない結婚をしてしまい、悲しみの果てに、「自分の選択は不従順だっただけでなく賢明でなかった」とわかった男女の声を聞くべきなのです。』

私たちの経験

全部打ち明けましょう。数年前、息子が未信者のユダヤ系の女性と仲良くなりました。息子はもう何年も、未信者との結婚がいかに悲しいものであるか(そして不従順であるか)を私たちから聞いていたので、彼女との結婚が選択肢にないことは承知していました。にもかかわらず、二人の関係は深まり、友達以上の仲になっていきました。息子は一応、彼女に言うべきことを言いました。「君がクリスチャンにならない限り、結婚できない。でも、僕と結婚するためだけにクリスチャンにはなれないよね。礼拝に一緒に行こう。でも本気でキリスト教について知りたいなら、僕と一緒じゃダメだ。自分でスモールグループを見付けて、本を読んで、僕以外の人と話してほしい」と言ったのです。幸いなことに、彼女はとても誠実で意志の力もある人でした。彼女は聖書が何と言っているのか、真剣に求道してくれたのです。彼女がどんどん救いに近づいていくにつれ、そんな彼女についていくために、息子の信仰も成長しました。ある日彼女は言いました。「彼は、私と付き合ってはいけなかったわね!」と。その後彼女は信仰を持ち、洗礼を受けたときには息子が水の入ったボウルを持ちました。受洗の翌週、息子はプロポーズし、今結婚して2年半になります。いまだに二人ともが成長し、葛藤し、悔い改めています。私たちは息子も義理の娘も愛しています。彼女が私たちの家族の一員となっただけでなく、キリストのからだの一部分となったことに、本当に感謝しています。

私がこのような個人的な話をお分かちするのは、教会の働きに就いている多くの友人が、これとは違った経験をされているからです。信仰をともにしていない相手と、子どもが結婚してしまった経験です。上の事例から私が教訓として受け取ったことは、神のことが教えられ、話し合われている牧会者の家庭であっても、また、結婚問題の相談に乗る両親の姿を子どもがどれだけ間近で見ていても、こうした問題が起こるということです。子どもに信仰が継承されていても、その子どもが未信者の相手と付き合ってしまい、自分が思っていたよりも関係が発展して、必ずしも幸せな結末に至らない結婚をしてしまうケースが後を絶たないのです。教会で指導的な立場にある人の家庭でこうなら、信徒の家庭ではどうでしょうか。私たちは、つり合わない結婚をしてしまい、悲しみの果てに、「自分の選択は不従順だっただけでなく賢明でなかった」とわかった男女の声を聞くべきなのです。


This article has been translated and used with permission from The Gospel Coalition. The original can be read here, Don’t Take It from Me: Reasons You Should Not Marry an Unbeliever.
この記事は「The Gospel Coalition」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Don’t Take It from Me: Reasons You Should Not Marry an Unbeliever