確かな希望
自分で将来の安全を保証しなくてよいのです。神が恵みによってあなたの理解をはるかに超えるような輝かしい未来、あなたの人生のエンディングを、保証してくださっているからです。あなたも私も、何度も何度も、自分の人生を次のみことばに照らし合わせて生きていかなければいけません。
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。
(Ⅰペテロ1:3-5)
人間の抱く恐れの中で、もっとも一般的なものは将来に対する恐れです。「〇〇になったらどうなるだろう」、「次は何が起こるだろう」、「これから先どうなるのだろう」と、誰もが考えます。こうした問いの奥に、将来が安全で、物事が順調に行ってほしいという私たちの願いがあります。将来について考えるのはおかしなことではありません。先のことを心配するのは罪ではありません。将来のために計画を立てるのは間違っていません。実際、私たちは将来を見据えて毎日を生きるべきです。私たちの思考、願望、意思決定、言動のすべては、来たるべき将来を考慮に入れてなされるべきだとも言えるでしょう。けれども、自分ではどうしようもないことを心配することと、神が明かしてくださった自分の将来に関するご計画に安住することの間には、大きな違いがあります。
将来を解明しようとする努力では、平安と希望は得られません。隠されている神のみこころは、私たちに隠されているからこそ「隠されている」と言われているのです!賢明で力強く恵み深い御手のうちに自分の将来はあるという真理のうちにあなたが生きるとき、本当の希望が見つかります。ペテロは「自分で計画したり夢見たりするどんな未来よりはるかにすばらしい未来を、イエスは代価を払って買ってくださったのだから、決して忘れないように」と言っているのです。自分にこのような素晴らしい未来が確約されているのだと覚えていれば、この瞬間がすべてだというような生き方をしなくなるはずですし、時は過ぎ去っていくという恐れや不安からも解放されるでしょう。神の子として私たちが受け継ぐことになる相続財産を、ペテロが「朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない」という形容詞を使って描写しているのが私は大好きです。この資産は守られており、私たちが受け継ぐまで、誰も手をつけることができないということです。この資産に損害を与えるようなことは決して起こりません。つまり、絶対に安全だということです。
しかも、ペテロが言っていることはそれ以上です。神は資産を守っておられるだけでなく、あなたを守っておられます。将来を守っておられるだけでなく、あなたを守っておられるので、終わりの日がきたときには、あなたは資産を受け継ぐことができ、それを永遠に楽しむことができるのです。だから今日、覚えていてください。どんなにあなたの現状が辛くても、神の子どもであるあなたには、想像もつかないようなすばらしい終わりが用意されていることを。そしてその栄光は、永遠に終わらないことを。
この記事はポール・デービッド・トリップ著「365日の恵み浴」からの抜粋です。
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