謙遜になり、不安と戦う

リー・ルイス(著者)、ブラッシュ木綿子(翻訳)-  2022年 08月 30日 - 

不安は、ありとあらゆる形でやってきます。人によって受ける影響も違います。私たちの社会では、不安がどこから来ているのかを分析することに多くの時間を割きます。それにより、不安要因を取り除くことができると考えるからです。しかし聖書は、罪が入った後の堕落した世界は、思い煩いや悩み、不安に溢れていると教えています。堕落した世界においては、自分の人生や自分の周りで、不安が生じるのはごく普通のことなのです。

不安に直接言及しているみことばの中で、私が好きな箇所は、ペテロの手紙第一の5章です。ペテロが、クリスチャンの世界観では、思い煩いや不安があるのは当然だと言っているところが好きです。6節から8節を見てください。不安の原因を突き止めて、それを解決したり取り除こうとしたりはしていませんね。かえってペテロは、不安になった時は、謙遜になって神に信頼することを学び、クリスチャンが成長する機会なのだという風に、不安と向き合う方法を書いています。ですからこの記事では、ペテロ第一5章6-8節から、クリスチャンが不安と向き合う助けとなるように、謙遜について3点書いてみたいと思います。

1. 思い煩いや不安に直面した時、謙遜な心は神のみが主権者であられると気付きます。

ペテロは6節で「へりくだりなさい。」と、明確に教えています。なるべく早く、折にかなって謙遜になるように、との呼びかけです。ペテロはこのような謙遜な心の姿勢こそ、私たちが目指すべきであり、訓練して習得するようにと勧めているのです。謙遜な心の姿勢を持つということは、神のご主権の中にある紆余曲折の道を、主からのものとして受け入れるということです。ペテロは「神の力強い御手の下に」という表現を用いて、神の力を強調しています。この表現は、神の比類なき力を指して、旧約聖書で多く使われています。へりくだる人は、比類なき力を持つ神の下で守られ、この神によって高く上げられる、というのです。人間の心にとって、これよりも良い場所はありません。

『堕落した世界においては、自分の人生や自分の周りで、不安が生じるのはごく普通のことなのです。』

不安というものは、巧みに「自分の力で問題を解決できるし、するべきだ」と、私たちに信じこませようとします。「ただ解決せよ」が、知恵のことばのように聞こえることもあるかも知れません。でも、自分の力で不安に対処しようとすることは、自分の努力が、神の大いなる奇跡をもたらす力と対等だと信じることです。神の力強い御手の下に身を置かないということは、自分を高めることであり、私たちは高慢になります。このような場所にあっては、私たちの心は、自分に主権があるかのように思い上がってしまいます。

2. 謙遜な心は、不安な時に私たちを救う唯一の希望は、神の差し伸べる救いだと気付きます。

7節には、私たちの思い煩いをすべて主に委ねるように、と書いてあります。思い煩いを主の上に投げよ、ということです。主は、紅海を二つに分けられました。主は、エジプトでの奴隷の身分と死から、イスラエルの民を解放されました。主は、約束の地へと民を導かれました。主は、御子イエスを罪人のためにお与えになり、罪と死に打ち勝たれました。主は、墓からよみがえられ、すべての主権を与えられました。このような比類無き力を持っておられる神が、ご自分のもとへいっさいの思い煩いを持って来るようにと、私たちに呼びかけておられるのです。なぜでしょうか。それは、私たちを愛しておられるからです!

7節の書かれ方を見ると、主に委ねない場合、私たちの心は中立の立ち場、つまり、どこにも委ねない、というわけではないようです。私たちは、思い煩いを、必ずどこかに委ねているわけです。ここからも、私たちの思い上がり、プライドが見て取れます。主に思い煩いを委ねないということは、間違った避け所に委ねているということです。父なる神以外の場所に思い煩いを委ねるということは、私たちの高慢が、偽りの救い主に頼っている、ということなのです。

3.謙遜な心は、孤立や自立は、敵の攻撃を招き、滅びにつながると気付きます。

「へりくだって思い煩いを神に委ねなさい」という、6-7節の勧めの後に、8節の「身を慎み、目を覚ましていなさい」という警告が続きます。ペテロは、霊的に油断のないように、と言っているのです。霊的に油断している状態とは、神の力強い御手以外のものに意識を向けている状態です。ペテロが、神の民を悩ます、不安や思い煩いについて語りながら、このように警告している点が大切です。つまり、自分に主権があるかのように思いながら、同時に偽りの避け所に頼っているような人が、霊的に油断しないで不安に対処するなどあり得ない、ということです。

神の力強い御手から離れて不安に対処しようとすると、影響がここで出てきます。霊的に油断していると、敵の餌食になるのです。サタンは、私たちの方向が霊的に定まらないとき、激しく攻撃してきます。高慢になった私たちは真理から離れ、神を愛する敬虔な集団から孤立します。その結果、食い尽くそうと探し回っている敵の標的となるのです。

『私たちは、思い煩いを、必ずどこかに委ねているわけです。ここからも、私たちの思い上がり、プライドが見て取れます。主に思い煩いを委ねないということは、間違った避け所に委ねているということです。』

どうすれば、いつも謙遜な心で不安と向き合えるようになるのでしょうか。

  1. 恐れや不安に直面した時には、なるべく早く、またなるべく多く、神の力強い御手が動いてくださるように呼び求めましょう。祈る絶好の機会です!「私にはできませんが、神様、あなたにはおできになります。」(ルカ18:27)と、信仰を告白するのです。このように祈る時、謙遜になって神に信頼することを学び、成長することができます。
  2. 福音にある希望について、思い巡らしましょう。希望を失うと、不安が膨らみます。福音こそ、私たちの唯一の希望です。キリストを通して、私たちは死から救われ、神の家族へと贖われました。私たちの父なる神は、私たちの必要のすべてを知っておられ、心にかけていてくださいます(マタイ6:25-34)。
  3. 高慢の罪を、なるべく早く、そしてなるべく頻繁に、悔い改めましょう。私たちは、高慢になると、自分を過大評価し、自分の見るところに頼ります。また、キリスト・イエス無しで問題を解決できると考えてしまいます(ヤコブ4:7-10)。
  4. キリストとキリストのことばにとどまりましょう(ヨハネ15:1-11)。みことばを心に蓄えていると、不安なとき、敵からの攻撃や嘘に襲われにくくなります。
  5. 互いに励まし合い、戒め合うために、福音を中心としたコミュニティを求めましょう。神は、私たちがキリストにあって互いに高め合うように願っておられます。教会として真理のうちに歩む中で、私たちは互いに励まし合い、祈り合うことができます。こうすることによって、サタンの攻撃に対して強くなれます。
  6. 神があなたを愛しておられることを思い起こしましょう。これまでの人生で、神があなたに特別な愛や憐みを示し、心配してくださった時のことを考えましょう。その時のことを覚えて神を讃え、これからも神の守りと愛を信じ、そこに憩う決心をしましょう。

振り返りの質問

  1. 今、どのような悩みや不安がありますか。
  2. 謙遜な心についての上の3点で、自分に特に欠けていると感じたのはどれでしたか。
  3. 神の誠実さを忘れないためにも、これまでの人生の中で、神の力強い御手を感じた時のことについて思い起こしてください。これらのことに思いを巡らし、感謝の心をもって祈りに覚える時間を取りましょう。

This article has been translated and used with permission from the Biblical Counseling Coalition. The original can be read here, Fighting Anxiety through Humility.
この記事は「Biblical Counseling Coalition」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Fighting Anxiety through Humility