「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす」
おなじみの平家物語の冒頭です。「懐かしい」と思われた方もいらっしゃるかも知れません。平家物語は今も中学二年生の国語の教科書に載っていて、去年、我が家でも息子が一生懸命に暗記していました。
息子の呪文のような暗唱を傍で聞いていた私は、「よくぞここまで…」と、涙ぐましい思いでした。というのも、我が家の子どもたちは一昨年の夏まで、ほとんど日本語がしゃべれなかったからです。私たち家族はそれまで八年余り、イギリスに住んでいました。いくら母親が日本人でも、現地校にしか通っていない子供をバイリンガルに育てるというのは難しいもので、平仮名を覚えさせるのにも苦労しました。それが宣教師として日本に引っ越すことになり、我が家では文字通りに一からの漢字の学習が始まったのです。
少しでも漢字を覚える助けになればと、子供たちに漢字の成り立ちをいちいち見せながら教えていると、私にも多くの発見がありました。「これは聖書の教えに通じるな」と思うことや、聖書のことばを連想させるような漢字の成り立ちが意外と多かったのです。そんな発見のいくつかをご紹介しながら、皆さんと一緒に聖書の世界をのぞいてみたいと思います。
さて、今回は「花」です。花という漢字は、草冠に変化の「化」ですね。この「化」の字の成り立ちは面白くて、左側の亻(にんべん)は横向きの人の形、右側の匕(ひ)は、その人を上下さかさまにした形です。上から下にクルっと向きが変わって、「ばける」「かわる」の意味になりました。花は草が育って咲くもので、草の姿が変わることから、草冠に化で「花」となったそうです。
草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。(イザヤ40:8)
四月といえば桜の季節。でも、桜の花は残念なことにすぐ散ってしまいますね。草の変化も、花が咲いて終わりではありません。聖書にあるとおり「草はしおれ、花は散る」のです。
古今東西、花は儚(はかな)さの象徴なのでしょうか。平家物語も、沙羅双樹の花の色をやがてあせるものの引き合いに出し、どんなに勢い盛んな者も必ず衰えるという道理を示します。常なるものは何もない、「諸行無常」であると嘆くのです。一方聖書は、「花は散る」と世の中の移ろいを認めた後で、「しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」と言います。永遠にかわらないものの存在を教えるのです。
コロナ禍で、色々なニュー・ノーマルができました。変わらないと思っていた私たちの日常が変わりました。まさに「諸行無常」です。でも、そんな中で決して変わらない、私たちが全幅の信頼を寄せることのできる神がおられます。神のことば、神の約束は、決して変わることがありません。この真理に慰めを得て、皆さんが新しい年度を平安のうちに歩み始めることができますように。
「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?