今月の漢字は友です。ふたりの片手を横から見た形で、ふたりの人が手を取り合って助け合うことから「とも、仲間」の意味になりました。第一画と第二画(一とノ)を左手、第三画と第四画(又)を右手とする説と、両方とも右手とする説があります。握手する仲が友達ですから、両方右手もうなずけるのですが、書き順からすると左手なのかなと思います。
というのも、漢字の「左」と「右」は、第一画と第二画がそれぞれ左手と右手を横から見た形なのですが、書き順が違うのです。左はまず一で次にノ、そこに物差しなどの工具を表す「エ」がつきます。これに対し右はまずノで次に一、そこに右手は食べ物を口に運ぶ手なので「口」がつくのです。
友の書き順は一が先ですから、私は絵を左手にしました。ちなみに「有」という漢字は、右手に肉を持っている形です。「肉があるぞ!」「肉を持っているぞ!」ということで、有る、持っている、の意味になったそうです。右手なので一画目はノ。皆さん、ご存知でしたか。私は子どもに教えるまで、いつも一から書いていました!
わたしはあなたがたを友と呼びました。(ヨハネ15:1)
さて、前置きが長くなりましたが、弟子に向かって「わたしはあなたがたを友と呼びました」と言ったのはイエス・キリストです。この連載でイエスは人となった神だと書きました。皆さんの神のイメージはどのようなものでしょうか。天地万物を創造した、全知全能のすごい存在でしょうか。あるいは、さばき主として私たちのすべてをお見通しの、恐ろしい存在でしょうか。確かにイエスは創造主であり、さばき主です。でも、友として近くにいてくださる方でもあるのです。イエスは「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」と言いました(ヨハネ15:13)。そして、さばき主であるにもかかわらず、友のために、友の代わりに、自らが十字架の上で神のさばきを受けました。十字架の上でいのちを捨てたイエスは、誰よりも大きな愛を持った真実の友なのです。
「いつくしみ深き」という讃美歌をご存知ですか。結婚式でもよく歌われるのできっとメロディーは聞いたことがあると思います。元は英語の讃美歌で、「What a Friend We Have in Jesus」と言います。「私たちには、イエスという何と素晴らしい友がいることだろう!」という意味です。私たちの罪と悲しみをすべて負ってくださるイエスに、今負っている重荷を全部祈りにして持って行きましょう、こんな特権はないですよ、というようなことが歌われています。日本語の歌詞にも「などかは下ろさぬ 負える重荷を」があります。「などか」は反語の副詞で、「どうして下ろさないのですか、(イエスのところにあなたの)重荷を下ろしましょうよ」という意味です。
十字架によって私たちの罪、咎、憂いを取り去ってくださるイエス。私たちの弱さを知ってあわれんでくださるイエス。いつまでも変わらぬ愛を持って私たちを導いてくださるイエス。このイエスがあなたの友だったら、素晴らしいと思いませんか。
「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?