今月の漢字は「戸」です。戸は見た通り、片開きの扉の象形です。(両開きだと「門」ですね)。みなさんは、十九世紀のもっとも有名な宗教画と言われている、イギリス人画家ウィリアム・ハントによる「世の光」をご存知でしょうか。私はスコットランドの神学校に通っていたとき、この絵のことを教えてもらいました。今月の絵はその漢字版です、などと言ったらハントに怒られてしまうでしょうが、ハントの絵と、ハントが「世の光」で描いた聖書のことばをご紹介したいと思います。ことばは、聖書に収められている最後の本、『ヨハネの黙示録』の三章二十節に書れているキリストのことばです。「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている」。この後に、「だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」と続きます。
見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。(黙示録3:20)
インターネットで検索すると見ることができますが、ハントの絵、「世の光」のドアにはノブがついていません。外側からは開けられないということです。そしてドアにはツタが絡まっています。もう何年も開けられた形跡のない、古くて暗いドアです。このドアの外に、ランプを持ったキリストが立ち、ドアをノックしています。決してドアを無理やりこじ開けるでもなく、優しく声をかけ、ランプの光を照らしながら、何年も辛抱強く待ってくださっている絵なのです。もし中からドアが開いたなら、キリストはその人のところに入って一緒に食事をすると約束されています。「食事をする」というのは親しい交わりの象徴です。王の王、主の主であられるキリストが、友として親しく交わり、ご自分の光で導いてくださるというのです。たれでも、キリストの声を聞いて戸を開けるなら、です。もしかしたら、皆さんは聖書のメッセージをもうだいぶ前から聞いていらっしゃるかもしれません。でもキリストに心を開く決心がなかなかできないのかもしれません。聖書には、神は忍耐深い方であって、私たちが悔い改めに進むのを長い間待っておられると書いてあります(IIペテロ3:9)。でも、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」(へブル3:15)とも書いてあります。ドアにツタが絡むほど、頑なに戸を閉め続けてはいけないのです。
ドアを開けるのは簡単です。「お入りください」と一言祈ればよいのです。この絵で私は、光であられるキリストを金色で、心の中で祈っている人を黒で塗りました。キリストなしでは、私たちは暗闇の中にいます。キリストにどうぞお入りくださいとお願いするなら、キリストの光が私たちに注がれます。私たちも金色になれるのです。キリストが、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」とおっしゃった通りです(ヨハネ8:12)。今月で、今年度も終わりですね。この年度末のちょうど区切りのよい時に、心の戸を開けてみようかなとお考えの方に、パウロのことばを送って終わりにしたいと思います。「神は言われます。『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。』見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(IIコリント6:2)。
「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?