すべてを益となさる神の愛

漢字の向こうに聖書が見える:2023年8月

ブラッシュ木綿子(著者) - 2023年 08月 01日  - 

つらい目に遭うのはなぜ
でも神様はみんなご存じ

今月の漢字は「益」です。「益」は上下に、カタカナの「ソ」・漢字の「一」・漢字の「八」の部分と、「皿」とに分けられますね。「ソ・一・八」は「水」を横にした形だそうです。言われてみると確かにそうですね。「益」はこれでお皿の中に水があふれるほど入っている様子を表し、「増える・ためになる」の意味になりました。考えてみれば、「あふれる」という漢字自体、さんずいに「益」でしたね。今月は「益」と「あふれる」のつながりから、聖書の教えに思いを()せたいと思います。

聖書に「主は私の羊飼い」という有名な詩があります。「主なる神が羊飼いのように私を守り導いてくださるので、私には乏しいことがありません」と始まるこの詩は、古代イスラエルの王ダビデによって書かれました。「王様だったから乏しいことがなかったのだろう」と思われるかもしれませんが、ダビデの人生は実に波乱万丈で、敵に追われて流浪の生活を余儀なくされたことが何度もありました。「死の陰の谷」を歩くこともありました。ひもじくて、祭司しか食べてはいけないパンをもらい受けたこともありました。けれどもダビデは「私の杯は あふれています」と書き、神の恵みがいつも豊かに注がれていたことを歌っています(詩篇23:5)。

漢字の向こうに聖書が見える:益
神を愛する人たち…のためには、すべてのことがともに働いて益となる。(ローマ8:28)

今月の聖書のことばにある「神を愛する人たち」とは、神に召されて信仰を与えられた「信仰者」のことです。誰でも、たとえ信仰者であっても、つらい時、苦しい時には目先の問題にばかり目がいってしまいます。「神さま、このようなつらい目に遭うのはなぜですか」、「神さま、いつになったらこの大変な状況は終わりますか」と尋ねるばかりで、自分が神に受け入れられている事実、神の愛が心に注がれている事実、自分の杯があふれている事実に目を向けることはなかなかできません。また神が、つらい状況、苦しい状況もすべてひっくるめて、ともに働かせて益としてくださるという聖書の約束も、なかなか思い起こすことができません。

先ほどのダビデは紀元前千年頃の人です。ダビデは守られ、彼の子孫も歴史の荒波に()まれながらも守られて、やがてこの家系からイエス・キリストが生まれました。この連載で書いてきたように、イエスは若くして十字架で処刑されました。この残酷な死が益となるとは誰も考えなかったのですが、神はまさにここから、イエスの犠牲の死という史実から、信仰者の罪を赦すという最善をもたらしてくださいました。

歴史をつかさどり、今まですべてのことをともに働かせて益としてくださった神は、これからも必ずや同じようにしてくださいます。その力と叡智(えいち)が神にはあるのです。ですから皆さんも、どうぞこの神に信頼してほしいと思います。「きっかり必要な分だけ」ではなく、いつでもあふれんばかりに恵みを注いでくださる神、すべてのことを働かせて益としてくださる聖書の神が、あなたを裏切ることはありませんから。


「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

この記事は『クリスチャン新聞福音版』2023年8月号(No. 563)より、許可を得て転載しています。