今月の漢字は「味」です。「口」と「未」からできていますね。「未」の上の短い棒は枝になった果実です。実がなると、私たちは早く食べたくて「まだかな、まだかな」と実が熟すのを待つことになります。実ができたばかりではまだ熟していないので、「未」は「まだ⋯ない」という意味なのだそうです。そして、熟したか確かめるために実を口にして味わうので、口偏に「未」で味・味わうの意味になりました。
さて、今月の聖書のことばは旧約聖書からで、「味わい 見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを」です。「いつくしみ深い方」の原語は「良い方」で、絵に添えられた英訳でも、「主が良い方(good)であることを」となっていますね。私はクリスチャンになるまで、神が良い方だとはあまり考えなかったように思うのですが、聖書によれば、神は良い方です。神は良い方であって、良いことしかなさらないと知ったとき、私は『ナルニア国ものがたり』の一場面を思い出しました。出版順で第一巻の『ライオンと魔女』では、悪い魔女によって、ナルニア全体が冬の世界に閉ざされています。アスランという名の王がすべてを正してくれるとビーバー夫妻から教えてもらった子どもたちは、次のように質問します。
味わい 見つめよ。/ 主がいつくしみ深い方であることを。(詩篇34:8)
ルーシー:「あの、人間ですか、その方?」
(岩波少年文庫『ライオンと魔女』113-14頁より抜粋して引用)
ビーバーのおくさん:「もちろん、ちがいます。アスランはライオンですよ。」
スーザン:「あの、危険なこと、ありませんか?」
ビーバーのご主人:「危険か安全かなどということは、問題にならないんですよ。もちろん、あの方は、安全ではありません。けれども、よい方なんです。王さまなんですよ。」
偉大なライオン王アスランは良い方なので、危険か安全かは問題にならないと言うのです。これは本当にそうですよね。上に立つ強い者(権力者)が良いときに民は幸せですが、悪いときには悲惨極まりないということを、私たちは歴史からも今のニュースからも嫌と言うほど知っています。実は、ナルニアでアスランという名で知られている王は、私たちの世界ではイエス・キリストと呼ばれていると、著者のC・S・ルイスは言っています。「王の王、主の主」(黙示録19:16)であられるイエス・キリストは、私たちにとって幸いなことに、「良い王」なのです。
この良い王は、民のことを心にかけ、民のためにいのちを捨てる方です。クリスチャンは、王が本当に良い方(いつくしみ深い方)であることを味わい見つめた人たちだと言えます。キリストの弟子だったペテロも、先に知った者としてまだ知らない人たちに、この王のことを伝えました。そして彼の伝道によってクリスチャンになった人たちも「主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました」(Iペテロ2:3)。このように、「味わい 見つめよ」が次々と伝えられていって、今に至っているのです。
ですからどうぞ皆さんも、味わい、見つめてください。主がいつくしみ深い方であることを。
「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?